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文化庁月報 1月号

太鼓集団天邪鬼代表 渡辺洋一さん に聞く

渡辺さんは、現在、太鼓集団「天邪鬼」の代表として、また財団法人日本太鼓連盟一級公認指導員・技術認定委員として、公演のみならず、国内外における後世育進にも力を注いでいます。渡辺さんは、八月十五日から九月六日までの一ヶ月間、米国コロラド州のデンバーにおいて、現地の和太鼓グループの指導をしたほか、子供たちへの講習会や、現地の和太鼓グループ等との共同公演を行いました。今回、デンバーでの活動について、おうかがいしました。

―まず、文化交流使として、渡米し、最初に地元の和太鼓の演奏を聞いたときの感想などをお聞かせください。

■確かに楽器は日本の太鼓を使ってはいるが、音作り、演奏形態、心構えに至っては、少なくとも“日本の太鼓”ではないと感じました。おそらく日本の太鼓を習ったことはわずかで、CDやビデオといった物から自分たちなりに勉強し、摂取してきたのではないかと推察されました。その努力は評価に値するが、しかし残念ながらその方法では“日本伝統の心”“本質”を取得することが難しく、実際彼らの演奏は“和太鼓を使用したアメリカの打楽器音楽”というものに感じました。

―指導をするに当たって特に苦労したことは何ですか

■二七年間という長い間、自分たちなりに考え、演奏をしてきてしまったがために不必要な“クセ”がついてしまい、その“クセ”を直すことが大変でした。また、和太鼓の基本姿勢や基本打法という“基礎”ができていないところに“もっとはでに!”という理由からアクロバット的な打ち方をしたり、突然奇声を発したり(邦楽の“かけ声”をまねているのであろうが・・・)邦楽ではないリズム形態を挿入したりと多種にわたる“考え違い”を取り除き、正すことに骨を砕きました。どんな芸能や芸事、芸術でも基本となるものは“シンプル”です。しかし彼らのからすれば楽器に向かう心構えや所作等はめんどうであり、何のためのものかわからなかったようです。“早く、かっこうよく、日本的情緒が表現できること”が大切なのであり、実は“本質”“基礎”といったものがいちばん重要でいちばん難しく、そしてできたときにはいちばんかっこうがよいものだと伝えることが難しかったです。

―指導やデンバー太鼓との公演を通じて印象に残った出来事などありますか。

■デンバー太鼓のメンバーとの心の“触れ合い”“魂のぶつかり合い”をもてたことが特に深く心に残っています。最初に顔を合わせてから、日を追うごとに“師匠と弟子”という間柄に発展していきました。日本でいうところの“師”という存在が根本的にないアメリカで、この関係を築けたことは、私自身、今もって驚くばかりです。ともに汗を流し、音を奏で、和太鼓を通して一日ごとに互いの信頼を深め、人はわかり合えることを実感し、真の文化交流ができたと今、思えています。

―アメリカでの指導において、日本と違う文化にも触れることがあったと思いますが、日本とアメリカの文化の違いをどのように感じましたか。

■良きにつけ悪しきにつけ、人々は日本人より何事においても開放的でした。それが典型なる明るさの由縁になるのでしょうか・・・日本の“礼儀作法”にはまったく無頓着で、お稽古中にガムをかんでいる(メジャーリーグのTV映像でおなじみだろうが・・・)また、指導中の返事が「Yeah!」「Uh’huh!」これにはさすがの私も困ってしまいましたが、日本の芸事の世界では先生・先輩・年長者などにいわれたことに対しては「はい」と答えます。“相づち”ではなく、“返事”です。日本の礼儀作法も一つの誇れる文化であると考える私は、この点に大きな違いを感じました。

― また、今回、デンバーで耳の不自由な人々に対する和太鼓指導を行いましたが、そのときの感想などをお聞かせ下さい。

■ハンディキャップを負った人々への太鼓の指導は、ある意味その資格などをもとないとできないかもしれないと思い込んでいた部分がありました。しかし健常者とまったく変わりなく教え、太鼓の楽しさを知ってもらえることができました。単に手話通訳が必要なだけです。太鼓に限らず、心の底から何かを“勉強しよう!”“修得しよう!”と考えている人間と“私達の文化はこういったものだよ!”と本当に伝えようとする気持ちが出会ったときに、何一つ問題になるものはないとつくづく感じました。言葉がないぶん、逆に心と心がじかに触れ合い、そのつながりを深く結べた気がしました。

―最後に、今回、文化交流使として活動したことについて、またこの文化交流使の制度について感じたことがあったらお聞かせ下さい。

■和太鼓は日本の誇る最も庶民的な民俗芸能であり、その和太鼓が米国で独自の発展を遂げている状態を目の当たりにし、正直驚きを隠せませんでした。“伝統”という枠の中でかたくなに守られてきたものが、長い年月を経てその土地や風土、または時代といったものに適合し、変遷していく。これが日本と米国では変化の仕方が著しく異なっていた。何事であれ“ものごとの本質は心にありき”と考える日本と、本質は“形”であり、“見た目”であり、“楽しさ”であると考える米国の違いでしょう。確かに、“変化”“変貌”は文化という形ないものを後世にのこしていくために大切だあるに違いないが、“文化”とは人がつくり、人が感じるものであるがゆえに、“心”を忘れては“無”になってしまうということを、私自身あらためて感じることができました。日本の文化を継承している者の一人として“日本”という国の文化が海を渡るとどのように変貌し、伝えられているかを知り、小さな一歩、小さな力かもしれませんが、正しい“日本文化”を伝え続けるために今後も精進しなければと気持ちを新たにしました。願わくば、末永くこの事業が続き、“文化大国日本”という新しい分野での我が国を、世界に発信し続けてほしいと望んでいます。

(インタビュー 構成 / 国際課)