最新情報

現在表示しているページ
ホーム > 最新情報 > ブラジル日記2010

ブラジル日記 1月24日

2010年1月26日

ブラジルに来て二ヶ所目のサンジョゼ・ド・リオ・プレットの指導が全て終りました!

15日に日本を発って8日振りの… 初めての休養日を明後日に控えて、気持ちが少し軽くなりました。 明日は午前10時にホテルを出て450kmを移動してサンパウロに戻る予定です。 7時間掛かるみたい… 少ししんどいけど、そうすれば明後日は休み! 仕事を全力でしたので、エネルギーが… 伊作も遺作になりそうです(笑) こうしてブログを書いていると、いささか皆んなに会いたくなります。

それにしても、ブラジルの夏は暑い! ジッとしていても汗が出るのに、体育館の中で太鼓の指導を朝から晩までやると、Tシャツから塩がふくんだよ!? 体育会系の人なら理解出来るかも?

うーんと、毎日肉系と言うか、いやいや、肉ばかり! 私も伊作も肩ロース… いやいや、ロースどころか、牛ハラミ・シュラスカリヤ風… カイピニーヤ煮込み!仕立てになって帰国しそうです(笑)(笑)

何と言ようとも、楽しみは食事とビール! セルベイジャーパロハボール!しかない!! だって気取って部屋でガウンを着てテレビを観ても、ポルトガル語だよ! *§〃≒Ⅷ 何を語っているんだか訳が解らないし、その時に独りで部屋で笑ったりして… 誰も居ない部屋でフフフ、ポルトガル語が解るわけないか… と思わず独り言! うーんよく考えてみるとオカシイ自分に気が付くのです。

でも、心配には及びません! 日本に居た時は買ったばかりのレグザのテレビとやっと上手く操れ様になったビデオデッキ? を毎日観ていたのでブラジルでは観ない事にしています。 これから最後の夕食会に出掛けます! 現在、夜の7時半です。 ではでは

このページの上部に戻る

ブラジル日記 1月22日

2010年1月23日

そう、先ほどの続きは、伊作がカホーンの替わりに桶太鼓をベタにして、私は、普段の通り、別にさして変わりはなく、マイクを片手に歌い終えたのですが… まぁ、普段と違っていたのは、壁に張った唄の歌詞を書いてある、模造紙の上を、長バチを差し棒代わりに唄を歌いながら、なぞった事ぐらいで、その姿は音楽の先生が学生に音符を指しながら歌を教えていると云うのが一番判りやすいかと! 

私も初めての事なので、間違えてはいけないと思い、指しながら唄を歌っていたので気がつかなかったのです! うん、大人しく聴いてくれてはいると感じてはいましたが、歌い終えた後に少し間があり、いっせいに拍手が挙がりましたが、私が振り返って子供たち表情がまったく違うので私は戸惑いました… やっぱり日本語では無理かなぁ~とかです!

影山は伴奏で前を見ていたから、うーん唄を歌ってる人の感情は、複雑だったりするので… ブラジルではやはり無理があるか? と心配が先に立ったのですが、少し落ち着いて見回すと、リーダーは皆、泣いているか、今にも泣き出しそうなのです。

内心ではやった!日本語でそれなりに心を掴めたと拳は握れていたが、半信半疑で、何故に涙が溢れているのか聞きたい! この祈りという曲を初めて聴いてどんな感想なのか聴かせて欲しい! と、何人かに感想を述べてもらいました。

そして、私が指示したのは、私や影山に構わず、ポルトガル語で感想を云いなさい! いちいち通訳を介していると、その溢れだしている感情の波を知る事ができないと! 彼等が日本語で唄を書いたならば、彼等の感想をポルトガル語で聴き、その心を感じたいと思ったからそうしました。 

彼等はそれぞれに語り始めました… でも、自分の感じた気持ちを押さえられない子、感想を述べている内、涙が溢れて、口ごもり、何度も何度も手で胸を抑えて、声にならない、それでも伝えたい言葉があるのでしょう… 私の目からも涙が出て… 不覚にも大声を上げて泣きたいのを堪えるのが精一杯で… 

私は何に感動しているのか、自分の作った唄が理解されて良かったのか? その感想をポルトガル語、言語で聴いているのに、子供たちの言葉にならない想いが伝わり、あの子供たちの綺麗な清んだ心に感動したのか分かりません!

しかし、初めての試みでこんなに感動したのは初めてです! 素晴らしい体験でした。 これを後二回も体験できると思うと嬉しくなる! これを伝えたくてブログを書いたのです。 私を師事してくれている皆に味遭わせてあげたい体験です。 これだから指導者は辞められないなぁ~と思う瞬間であり、親父とお袋がくれた贈り物です。 ではでは

このページの上部に戻る

ブラジル日記 1月21日

2010年1月23日

今日は1月21日、パラナバイからサンジョセ・ド・リオブレッドに向けてバスにて移動中です。みんなは元気ですか?私も元気と言いたいが、うーんやっぱり、サンパウロに着いて、翌日の朝には800km約.12時間掛けて移動して時差13時間を克服して、休む時間もなく翌朝8時から講習会に臨み、三日間連続で検定試験と新曲を指導するのは、それなりに疲れるというのが本音かなぁ~

でも、心配しなくて良いよ!嬉しい事も幾つもあったから、気分は憂鬱ではありません。本当はバスの中で少し寝たいと思ってはいたが、今回はブラジルジュニアの子供たちも一緒なんで、隣にいたり、目が合うとついつい話をしたり、子供たちは、先生! この意味は何? あの打ち方を覚えるのはどうすれば良いの? と彼らは真剣に質問して来るので、むげにもできず…

そんな事、太鼓の話やリズムの取り方等を教えたりしていると、眠気も飛んでしまうと云うか… 時期を外してしまって正解かもね! リオ・ブレッドまでは500kmあり、所要時間は、昼食を入れると約9時間掛かる見込みだそうです。午前10時にホテルを出たので到着は夕方の7時ぐらいかと…今は、お昼過ぎ1時20分です。たぶんもう少し走るとお昼ご飯でしょう?(笑)本当は沢山絵文字を使いたいが、パソコンには表示されないと思うので…上手く表現できないかもね!

バスからの景色は、辺り一面にサトウキビ畑と牧場の中を真っ直ぐで平坦な道また道を時速90kmぐらいで走っています。空にはでっかい入道雲と真っ青な空が広がっていて…東京に住むってここブラジルにいたら決して考えられないだろうと思います。

そうそう、嬉しい事がありました。 ブラジルの子供たちに新曲を教えました。

ブラジル太鼓オーケストラというチームとして作り曲名は「祈り~大地の響き」です。 皆さん、ご存知の開運の中で唄われているあの祈りと!アフリカンビートを少しアレンジして合成した曲にしてみました。 ブラジルの子供たちの9割は日本語が話せないのであの唄…祈りを教える事を少し躊躇いました。 しかし、ブラジルに本当に日本文化を根づかせるには、日本語の唄と太鼓の融合ではないかと! 

日本で決めていたのは、初音かアフリカンビートのどちらかを指導してあげようと大体はそう思っていました。 しかし、ブラジルに着いて役員の方々と会食した時、皆さん口々に、ブラジルでは後20年もしたら、日本語の文化が無くなってしまい寂しい限りだと… 何か良い方法がないものか? と口を揃えてそう私におっしゃるのです。

日本人なら、保存会員の皆なら、日本語が使えなくなる、使わなくなるとはきっと思わないでしょう。 ブラジル日系の二世、三世はそれを憂いているのです。 もう日本語が分かる世代は60代以上で我々が死んだら多分日本語は残らないと思って危惧しているのです。 現在、太鼓を打っているのは、五世、六世なんです。 

中間の四世辺りがまったくいないので、早い話は30歳、40歳世代が居なくて、それらはほとんどポルトガル語で生活をしている為に日本語文化は、ほぼ存在しないのでしょう。 故に、お年寄りの皆さんは、寂しく感じているのです。 要するに、墓守り、正月、お盆などの儀式をきちんと日本式にやって欲しいのです! お年寄り達は、口に出してそう私に言った訳ではなく、私が彼らの話を聴いてそう感じたから、この六年間を通して、ずっとそう感じて来たから、それに何か報いてあげたいなぁ~と思って…

(日本語ねぇ 文化としてかぁ~ 子供たちが覚えやすいねぇ~ 唄かなぁ? いつも口ずさめる様な物かぁ~)と頭の中で考えていたら、ピンと閃いたのが祈りでした。 ほぼ、ポルトガル語しか話せない子供たちに教えられるか少し不安がありましたが、私自身、試してみたかったのです。

どれだけ言葉よりも心が伝わるか! いつかは出来ると思うより、そう!明日できる事は、今からできる!と、私は常にそう思って太鼓の曲を作曲してきた訳で、やるなら今だ! そう思った時がチャンスとそうしてじぁないか!!と気持ちを決めて新曲の指導に入りました。

サンパウロからバラナバイに向かうバスの中でリーダーの子供たちには、唄の歌い方は教えましたが、その詞の内容について、言葉の意味について深く教えていなかったのです。 唄の中にある漢字を教える事や、大体の意味を教える事で一杯だった。

それと大地の響き! アフリカンビートを半分ぐらいは、リーダーたちに教えて置かないと、参加者が沢山になり初心者がいるなら尚更でした。 この唄を入れて、アフリカンビートの変形と融合させて、一つの完成品に仕上げるのは、保存会でもしていなく、ブラジルではまったく初めての試みなので、正直、100%自信があった訳ではないが、日本を代表して、天邪気を代表して、保存会や私を師事してくれる弟子の為にもやらねばならないと決意してパラナバイに入ったのです。

いつか誰かがやるであろう事を、適職でなく天職としてやっておけば、たとえお金にならなくても、足跡は遺る! 日本財団から派遣され、ブラジル太鼓協会の為、ブラジルでの太鼓の礎を築き、日本の伝統文化である和太鼓を指導した! その足跡は、時代と共に薄れていくだろうが、それらを私の指導を受けた者の誰かは受け継ぎ、それを語り継ぐ… うーん、よく云えば伝説かな?

人の心はうつろいやすい… たえず、揺れ動く物… 人間は身勝手な生き物だと… 嫉妬・妬み・嫉み・欲望など挙げたらキリがない… 誰でも寂しい時があり、自分を自分自身で嫌いになる事もあるだろう。 それらを拭いさるには、自分の為ではなく、人の為に何かしら尽力できた時ではないかなと? そんな風に思えるようになった私かな… うーん、上手く云えないが皆さんがどう感じるかは、きっとそれぞれでしょう。 要するに、心ある人が居ればそれでいい… 今回のブラジル太鼓オーケストラを、祈り~大地の響きを誰が創り、指導したか等をこちらから云わずとも、良い作品であれば遺るだろうし、良くない物ならば消滅するだろう。 人は皆、原点を探るものだから。 

このブログを読んでくれている皆さんも、きっと思い当たる事があると思います。 自分はどうして自分なのか? 両親は何故結婚をしたのかな? 祖父母の名前はなんだっけ? 私の本家は何処にあるのだろう? 自分が生まれて来たが、何をすればいいのだろう? 死んだら何処にいくのかな? 数え挙げたらキリがないでしょう。

私が指導した、作曲した作品が良い物であれば、それは100年後であろうと、ブラジル太鼓の末裔で心ある、志しを受け継ぐ者ならば、必ずや、その原点を探して、日本に来るだろう。 その者は真っ直ぐ東京を目指し、天邪気探し、私の足跡を辿るだろう。 求道とは、原点を辿るとはそうゆう事です。 

簡単に云えば鮭と同じです。 川の上流で産まれ、稚魚となり、川を下り、海に出る! 成長した鮭は、産卵の為、祖先を残すために、危険を侵してまで、川をさか登り、産まれた所に還り、産卵を済ませて寿命を全うして死んでいく!という話です。

そろそろ本題に入りまして… 嬉しい話でして、祈りの歌詞をを大きな模造紙に写しました。 「遊びも知らずに不器用で」と書いてもまず、漢字にカナをふらないと読めない! 遊びも知らずに? 先生、何の遊び? はい、はい! あーやっぱりね!!と思いました。 なので、この祈りという曲は誰が何の為に作り、何が言いたいのか? はい、今から説明しますね! という事から始めないと、文字は判っても、意味は理解出来ないと思ったからです。 

祈りという曲は、先生が作りました。 作詞は渡辺洋一、作調は涌井晴美。 この曲は、先生のお父さん、お母さんが亡くなった時に、先生が小さい時からいつも両親から聴かされていた言葉を遺言として受け止めていて、この言葉を忘れないように、そして、今までの親不幸を謝ると同時にこの世に産んでくれた事への感謝の気持ちを込めて作った物です。

まずは、先生がオリジナルで影山君の伴奏付けて唄ってみせます。唄いました。 この感想はブログの最後に書きます。「遊びも知らずに不器用で」 これは、私のお父さん事です! お父さんは、毎日、毎日子供たちの為に一生懸命頑張ってくれました。 家でお酒を飲む事もしないで、外出して映画を見たり、友達と遊びに行ったりあまりしないお父さんだったので。 不器用が分からないよね? 不器用は、皆に例えたら、友達に自分の気持ちを上手に伝える事ができないとか、一生懸命するんだけど、大事な時にミスをしたり、思ったように物事が進まないとか! こんな様な人を不器用な人って言うのだよ(笑)

「働き、働き、働らいた!」 これは私のお父さんは、家族を守る為に、毎日毎日、休む事もなく会社に行きました! 皆も分かるね? はい! の返事を聞いてから、判らない事があれば遠慮しないで聴きなさい! 「小さな事を積み上げろ」 これは、どんな事でも初めから成功しようとしないで、少しでも良いから、1つ、1つゆっくりやりなさい!という意味ですよ (笑) 分かるね? はーい! それをお父さんが先生に教えてくれたことです! 質問はありますか? という具合にやって行き、詞の内容を教える事に二時間を掛けましたが… 先程に子供たちの前で初めて唄を歌った時に凄いハプニングがあり、それでブログを書く気になったと言って過言ではありますん。

このページの上部に戻る