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1995年 ラティーナ 1月号

エリアサル・ジャネス日本滞在記-和太鼓の真髄に触れて

5年間温めた自己プロジェクトを成し遂げたベネズエラのドラマーが、
師匠の渡辺洋一(天邪鬼)と振り返る6ヶ月の日々

'94ベネズエラ最強のドラマーのストーリーを覚えておいでだろうか。ジョルダーノ、セルヒオ・ペレス、アドレナリーナ・カリベはじめ、伝説のインスト・バンド「セクシオン・リトゥミカ・デ・カラカス」スター女優兼歌手のマリア・コンチータ・アロンソ等々のライブや録音、ウィリー・コロンのエスペシアル・ヌメロ・シンコのベネズエラ・セッション参加・・・という輝かしいキャリアを持つあの男だ。1953年、カラカスのバリオに生まれ、ジャズやボサノヴァを演奏し、やがては演劇の音楽担当を経てマルチな活動へと傾斜してゆくことになる。よい条件のドラムセットを持たなかったがゆえに、個性的な奏法を開発し、特異なセッティングのドラムスで噂を呼び、アフロベネズエラ音楽に欠かせないドラマー及びパフォーマーとなる。長い手足を生かしきったそのしなやかなドラミングには、誰もが感嘆の声を上げる。そう、93年10月、エリアサルは5年間あたためてきた自己のプロジェクトである「和太鼓修行」のために初来日したのであった。88年ベネズエラへ公演に来た鼓童を体験し、自分の信じてきた芸術世界をそこに見て、彼はカリブ音楽のセッションマンとしての地位を捨てても、この日本に来たいとずっと念じてきたのだった。5年あまりカラカスの奥、人里離れた山の中にこもり、身体を鍛え瞑想する日々・・・まるで「鼓童コミュニティ」を疑似体験するかのように。去る6月、国際交流基金の奨学制度を無事受けられたエリアサルは、妻のクリスティーナとともに東京の地を踏んだ。彼が和太鼓修行の受け入れ先として選んだのは「天邪鬼」を主宰する渡辺洋一氏。半年にわたる貴重な修行の成果を、帰国前の11月末、師匠とベネズエラ生まれの弟子に尋ねてみた。(インタビュー通訳:斉藤憲三)

-彼が先生の門戸を叩いたきっかけは?

渡辺  昨年の11月ですかね、石橋純さんから彼が大太鼓を中心としたものを学びたいと言っているが、迎えてはくれないかというお話があって。わかりました、と国際交流基金の申請に至ったわけです。日本滞在中に興味を持った海外の人に教えたことはありましたが、本格的に留学生としてアーティストを長期に迎えたのは初めてでした。

-実際に修行はどんなものですか?

渡辺  初めは叩いただけであそこが痛い、ココが痛い、とにかく身体じゅうが痛いと言っていた。もしかしたら、だいぶ僕を憎んだんじゃないかな。ずいぶんきつかったと思う。

エリアサル(以下E)  あまりに痛くて、筋肉弛緩剤を飲んでもいいかと聞いたけれど、ダメだと言う。おーイターイ。

渡辺  痛みを身体に覚えさせるためにやっているんだからと説明して、まず打法ですね。彼は身体が良かったからもう少しできるかなって思っていた。でもトレーニングに至る前にヘバっちゃう。こんな叩き方はやったことがないから勘弁してくれ、と言う。

-彼もベネズエラでは並大抵ではない太鼓叩きなわけですが、根本的に打法が違う、と。

渡辺  根本的に和太鼓は痛いんです。ビートの取り方、僕らは腰で取っているんですよ。足腰をしっかり落ち着けて打たないと、大きな太鼓になった場合、打ち抜くという技術が別にあるわけですから。彼らはノリやビートの中でポリリズムを刻めるという特質がある。和太鼓はひとつのベースを決めて、それに対して自分が向かっていくということが多いんです。根本的に打法が違う。精神的なものや肉体的表現が多いんですよ。だから彼らは、スリー・ツーとか刻んでいれば容易に仲間に入れるけれど、和太鼓はちゃんと叩かなければ仲間に入れない。

-奏者と一緒に楽しむ側が分かれている。

渡辺  そう、演じる側と見る側とが、どこか離脱しているというかね。

-エリアサル、なぜ痛い思いをしてまで和太鼓修行を志したのでしょうか。

E  世界には様々な太鼓があるが、渡辺先生の太鼓には、これまでやってきた自分の特異な奏法(立ったままドラムスを叩き、舞踏のように優雅なスティックさばきをする)と共通する魅力を感じたからなんだ。和太鼓は最高の楽器だし、ひょっとしたら自分と同じような意識を持つ人かな、と。最初は、これなら自分にもできると思ったんだ。

-初めて和太鼓と出合ったのはいつ?

E  88年鼓童がカラカス公演した時だ。その後、92年に天邪鬼の公演をカラカスで体験した。その時、初めて渡辺先生の太鼓を叩かせてもらった。兄弟のように面倒見てくれた。練習は最初はきつく続きそうもない、到達できないと思えた。でも先生は段階を踏んで成長するよう教えてくれた。まだ中間点ほどにも到達していないが、さらに高見に進みたい。高い地点まで達した時には、きっと渡辺先生から「天邪鬼でゲスト参加してくれないか?」なんてオファーがくるだろうから。

渡辺  のんきだからねぇ、彼は。

E  上に行くたびにもっと難しくなる。先生の太鼓はアヴァンギャルドだから難しい。助六太鼓や御諏訪太鼓、鼓童も見てきたが、渡辺先生の奏法はまるでラテン・ミュージックのように奥が深いんだ。特に真似てみると。

渡辺  初め1ヶ月ほどは教え方に悩みましたね。サンフランシスコに田中誠一という日本人で初めて海外に道場を持った人がいるんですよ。助六太鼓出身で、スパルタ教育なんです。和太鼓にはラテンと同じように唱歌があって、それは日本語で教えないとニュアンスが出ない部分がたくさんある。「レフト・ライト・レフト・ライト」と言いながらではダメで、日本語の唱歌で説明しなくちゃ無理なんです。そしてまず時間厳守、会ったら「おはようございます」と挨拶させる、なんて言われてたんですよ。で、彼の場合、まず石橋さんからお話があったときに、どの位たたけるのかライブハウスで演ってもらった。もちろん、彼は僕が見た中ではナンバーワン・クラスの演奏家だった。人間性もとてもいいし、こういう譜面でやってこなかった人にフリー性を失わせるのもつまらないし、悩みました。一から積み重ねていくか、それとも一・百と積んでゆくか。で、1ヶ月ぐらい練習を見て、まず溶け込めなければいけないなと思って、ある程度おいしい部分、ご飯じゃなくておかずから入った。正座やリズムの基本から教えるのではなく、いきなり楽曲から入ることにしたわけです。彼が欲している大太鼓のムーヴメントやポージング、まずコラソンから入ったんです。彼は動物的なほうでしょう。僕も同類だから分かるんですけど。でも肩がもたない、背筋がもたない、足腰がダメ、それでさらに悩んだ。思い直してスパルタがいいかな、と。それで1週間に2回の練習を4回にして、ウェイト・トレーニングに切り換えた。成果が出てきたのは2ヶ月目あたりからでしたね。

-確かにあの頃、編集部に来ても泣いてましたね。(笑)痛いと言って。

渡辺  とにかく痛くても必要なんだ。僕を信じなさい、とね。目標も欲しいはずだから、8月に福井で僕の持っているイベントがあるから、もしもおまえが素晴らしい成果をあげたら、そこでドラムのほかに大太鼓を叩かせようじゃないかと話してみた。もしダメだったらカメラマンな、と。大太鼓は無理だったけど、とりあえずドラムは叩けたからね。アカペラでも歌った。8月頃には身体も慣れてきて、外人特有の筋肉質に伸びが出てきた。自信もついてきたようだった。「痛いのがいいんだ。早くジムに行こう」なんてね。こんな脳天気な人もいないよね。浅野太鼓という400年も太鼓を作り続けている所があって、一人3分間打ち続けるコンテストがある。それがまた励みになってね。彼はまた興奮しちゃってね。来年はこれに出場して、優勝はできなくても3位には入りたいと言う。

-日本人が根本的に美しく見えると感じるポーズを彼が理解するのは難しいでしょう。

渡辺  日本のものってポーズが角ばっているんですよ。花にしても。武人(ぶじん)的というのかな。だから和太鼓って、感覚的にはスポーツと武道を足したようなものなんです。逆に向こうのサルサとかは、全体的に基本形が丸い。それを感じ取るのに、自分の姿をビデオで見せて違いを分からせるしかない。外人特有の自信があるからね。でも自分に型がないのが分かってきて、さらに打ち込むようになってきて、こどもみたいに朴訥で純粋だった彼の性格も、もっと前向きになってきた。

-ただ、彼は本来センスを持っていますよね。

渡辺   センスは抜群だね。1拍の中に2音あるのを、彼も僕らと同じように感じることができる。歌舞伎の間抜きみたいなリズムだって、彼は最初からついて来られたし、「スケテンテン」という唱歌も彼は向こうで同じようにやってきたからすぐについてこられた。

E  でも、ラティーノの中にあるリズムと違って、とても難しかったよ。

渡辺  でも彼はとにかく耳がいい。勘がいい。暗譜力も抜群だね。

E  ありがとうございます。

渡辺  彼が一番苦労したのが「武人」という曲。曲がわかっているのにムーヴメントができない。何度も泣きそうになってたよ。

E  動作は自分にとって全く新しいものだったから。全く初めての体験だった。

渡辺  腰を決め、タメといて次の動作に移る、打ち砕く、なんていうのが彼らにはないでしょう。サルサにしても、ビートが流れててその中で動くことに慣れているからね。根本的に彼らにはないものでしょう。あと、視線がどうしても笑っちゃう。日本人が着物を着た時の最低限の所作すら知らないわけだから。奏法より所作が難しかったはずだね。

E  そう、リズムより動作が難しかった。ラティーノのリズムでは、それにあわせたポーズが決まっているわけではないし。

渡辺  バチを持ったポーズにも意味がある。視覚的にもね、すべて意味があるんです。

E とてもシンプルだが深遠なものだった。

渡辺 彼はよく叩き分けられるけど、向こうの人には普通ピアノとフォルテしかないんですよ。でも、僕らはメゾフォルテやメゾピアノといった中音域をよく使う。割烹料理と同じで、食べ終わってすべてが良かった。おいしかったというようなものなんだ。すべて次にいくためのトータルな所作だから。

-ひとつの美学ですから大変ですね。

渡辺  そう。彼はドラムだったらその中音域すべて使い分けられるけれど、それを和太鼓に置き換えられるか、というのが難しい。

-そんな要素を初めて日本で見た?

E  最初はさほど難しくは映らなかった。だが、本当に奥深いものだったよ。

渡辺  僕らの感覚というのは、彼は充分わかっていると思うけれど和太鼓の世界では10年先のことをやっているんです。日本を代表する他のグループは機械的なところが多いんです。そこのハートを加えようとすると、どこか宗教的になってしまう。僕らは動作として、次にどうやって打ったら自然に打て、形が良くて、といったものが楽曲になってるんです。それはたぶん彼は気付いたと思う。

E  その違いはベネズエラで見たとき分かった。機械的ではない曲線美の流れを感じた。

渡辺  学術的には、そういう打ち方のほうがタイトに音は出るのかも知れないけれど、人を感動させる、その時にライブでなければ出せないカオスの理論というか、考えられないものが舞台で出てしまうんですよ。1足す1が2ではなくて11かもしれない、見たときに総毛立つというかね、そういうものを僕らは与える側でもあるんですよ。

-もちろん10年先を見越した新しい和太鼓は、渡辺先生がお考えになったものですか?

渡辺  ええ。宣伝ということもあるけど、いいものは絶対売れてくると思うし、日本で知られていなくても心配はしていないんだ。実は僕はラテンのエッセンスとか、ガムランのエッセンスとかいっぱい入ってる。それをそっくり取り入れるのでなしに、締太鼓にアバネコみたいな要素を入れたりする。視覚的にも必要性から出た衣装を着て演奏します。第一、裸で打つというのを考えだしたのは日本人ではなくピエール・カルダンだから。ヨーロッパで受けるために、男の色気で売った。僕らはそれが嫌ではないけど、裸で打たなくても誰もが納得する音を出していれば大丈夫だと思っているから。

-天邪鬼で学んで良かったと思う?

E 去年11月に日本中の太鼓を訪ねて回った時も、いつも忙しくてつかまらない渡辺先生を探していた。佐渡や秩父、諏訪など訪問先で太鼓に出合うたびに、素晴らしいと思いながら、でも師匠は渡辺先生と決めていて、電話していたんだ。音、存在感、フィーリングで、ずっと心に決めていた。

渡辺  日本人の心って作ったものではない。彼に対して、僕はもてなしたこともないけれど、彼の性格を変えようと思ったこともない。互いに別のものだけれど、だからこそこうしてブラザーなわけ。和太鼓に触れるよりもまず日本人に触れて欲しいと思った。結果、未熟だけど形的には完成させて、舞台に上げて3分間の自分のソロを考えさせた。いい勉強になったと思う。すべて終えて、12月10日に彼のさよならコンサートというか、浅草の宮本スタジオというところで日本とベネズエラの太鼓の違いをトークショーでやって、日本で覚えた和太鼓をそこで彼が披露するように企画してあげたんだ。

-6ヶ月の修行の収穫と、帰国後は?

E 自分が変わったのではなく、進歩し豊かになったと思う。ベネズエラに戻ってからもビデオでさらに勉強し、スサノオのグループを再結成して「武人」を演じてみたいと思う。ベネズエラの太鼓ミーナ等に、太鼓、締太鼓、カネを組み込んで。

渡辺  だからここでも男気だしちゃってね、太鼓屋と結託して、何とか彼に太鼓を持たせてやりたくてね。ドラムと組み合わせて使うのには団扇太鼓がいいから、3枚のあれを揃えたんだ。向こうでドラムセットと一緒に叩いている姿が目に見えるようだな、なんて思って。12月4日の忘年会にプレゼントするから、まだ秘密なんだけど。

E ヒロミとマユミが打ってる団扇太鼓は他のグループでは見ないよね。スゴイ!

渡辺  来年4月に全米公演があるんですが、その時に国際交流基金の助成公演として南米も回りたいと思っているんですよ。年に2度は海外公演に出ていますが(トータルで50ヶ国は公演したとのこと)、今プロとしてやっているのは3人。個人でやっているから抱えていくのが大変なんですよ。エリアサルまで加えればメンバーは250人ぐらいいますけど。その彼とは、何とかベネズエラ公演を実現させ再会したいと考えているんですよ。

まったくもって男気に満ちた先生だ。選ぶべきは良き師・・・。因にスペイン語で“天邪鬼”にあたる言葉は、“テルコTerco”だそうだ。例えば、コロンブスのような冒険者、時代の潮流に敢えて逆らうような人間をそう呼ぶという。その意味でも、「天邪鬼はラテン的だ」という。ついでに「渡辺先生は日本のティント・プエンテだ」と彼は言う。