1986年12月設立。
太鼓集団天邪鬼は、伝統芸能の和太鼓に現代的要素を取り入れ、新たな和太鼓音楽の確立を目指し、あらゆる音楽的挑戦を続ける和太鼓プロ集団。
中南米・ヨーロッパ等50数カ国に及ぶ海外公演では圧倒的な支持を得、国内でのフェスティバル・公演活動・テレビ番組への出演に於いても高い評価を受けている。
また、全国各地の創作太鼓の作曲指導にあたり、次世代の育成にも力を注ぎ、ふるさと活性化、青少年の育成等を目的とした活動で、着実なる成果を挙げている。
天邪鬼の代表者でもある渡辺洋一は、その高い指導力が認められ、和太鼓指導の第一人者として2003年度に文化庁から特別顧問・文化交流使の特命を受け、アメリカコロラド州デンバーへ派遣された。
東京都荒川区出身
天邪鬼を主宰する渡辺洋一は、幼少の頃から和太鼓の魅力に魅せられ、1976年に日本初和太鼓プロ集団である助六太鼓に入門し、中心的プレイヤーとして10年活動した。
後に、確実なる和太鼓の基礎を携え、新しい和太鼓音楽の確立を目指し太鼓集団天邪鬼を発足。以後、和太鼓音楽を広げようと模索、天邪鬼パフォーマンス“The Unknown World”を作曲、多彩な楽器を和太鼓に組み入れたことで、ジャンルの壁を 飛び越えた新しい和太鼓音楽を創作発表する。そのかたわら、和太鼓のソリストとして国内外のアーティストとセッションを行う等、多彩な音楽活動を続けている。
全国各地のふるさと活性化、青少年の育成等を目的として創作和太鼓の作曲指導を手掛け、着実なる成果を挙げている。2003年度には、その高い指導力が認められ、文化庁から特別顧問・文化交流使の特命を受け、国際的に和太鼓を広める活動を本格的に行っている。
東京都千代田区出身
5才の頃より麹町囃子会に属し、祭囃子を修得。大妻高校在学中、助六太鼓に入門し、川名真由美と共に母校に和太鼓グル-プ“雅彩”を結成。その演奏が脚光をあび、学生時代よりセミプロとして活動を開始する。
短期大学を卒業と同時に太鼓集団天邪鬼の旗揚げに参加し本格的にプロ活動をはじめる。以後国内外での演奏活動テレビ出演をはじめ様々なアーティストとの精力的なライブ活動も行う。
国立劇場主催“日本の太鼓”―オンナが打つ―においては日本を代表する女性和太鼓奏者として紹介され、その繊細でダイナミックな演奏は、多大な絶賛を浴びた。
東京都練馬区出身
幼少の頃より父、渡辺洋一の太鼓を見て育ち、小学生から盆太鼓を習得。以降学業中にも様々な舞台に出演してきた。高校在学中には近隣の保育園教諭に太鼓を指導し、現在は、天邪鬼保存会の指導者として後輩を育成している。
埼玉県川口市出身
幼少の頃よりモダンバレエ・ジャズダンス・コンテンポラリーなどの舞踏を学ぶ。
高校在学中よりダンスユニットを結成し、その後舞踏家として阿修羅を立ち上げ、国内外の数々の舞台に立ちプロとなる。
2005年、遠征先のスコットランドで太鼓集団天邪鬼に出会い、和太鼓の全身全霊でぶつかれる鼓動に感銘を受け入門。
2007年福井県オールジャパン・オタイコ・コンテスト一本打ちの部では見事敢闘賞に輝く。
東京都杉並区出身
都立石神井高校在学中に文化祭での太鼓指導に来ていた天邪鬼と出逢う。 学業終了後、天邪鬼保存会に入門。
後に天邪鬼20周年コンサート『魂の響き』にスタッフとして参加した際、その舞台で受けた感銘、心の衝動を忘れられず、以降本格的にプロの道を志す。 母校である杉並区の小学校を拠点に、天邪鬼キッズ『しゃかりき』を指導。次世代を担う子どもたちの育成に力を入れている。
長野県中野市出身
中学生の時、選択音楽の授業で和太鼓に触れる。
その後、高校卒業まで地元である長野県の和太鼓チームに所属。
上京後、天邪鬼保存会に入門し、天邪鬼の楽曲とその精神に魅了され、プロの道を志す。
天邪鬼の和太鼓を新しい伝統文化に…という師・渡辺洋一の意思を受け継ぐべく、次世代の担い手を目指して活動中。
ブエノスアイレス生まれ
父がタンゴのミュージシャンで子供の頃から音楽に親しむ。
14歳の時カナダに移住し、和太鼓と初めて出会う。
モントリオールの「あらし太鼓」で16歳で初めて師事を受け、その後仲間4人で「Taikonauts」を結成。
マギル大学で日本研究を専攻し、卒業後、来日して2013年より太鼓集団天邪鬼で渡辺洋一氏に師事。
4ヶ国語を話し、現在天邪鬼にて海外部担当として後進の育成に力を注ぐ。