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自然と健康 2004年11月号

自然と健康

株式会社 日本ジャーナル出版

美しきナチュレルたち
小川ひろみ・川名真由美

こころ素直に
まっすぐにぶつかれば必ず何かが返ってくる
その経験が私たちを素直な気持ちにさせてくれる
まるで遠い国へ響く音楽のように

日々精進して自分を高める 道としての太鼓を伝えてゆきたい

4尺もの大太鼓を間に、スレンダーな女性二人がバチをかまえる。透き通るような静寂が周囲をそっと包み込む。と、次の瞬間、まるで稲妻が大地を打つかのような衝撃が走った。背の後ろから振りかざされるバチ、そしてその先から、鋭く、強大な力がまるで閃光のように放たれる。先刻まで小さく見えた二人の姿が、いつしか巨大な仁王像と重なる。そのとき私は思う、彼女たちが太鼓の神を呼び起こし、その声が私の魂を揺さぶっているのだ、と―――。川名真由美さんと小川ひろみさんは、太鼓集団“天邪鬼”を代表する奏者だ。リーダーの渡辺洋一氏とともにグループを結成し、さまざまなジャンルの音楽を取り入れながら、和太鼓の新しい可能性を次々と引き出してきた。その巧みな技術は「男性の芸能」とういうイメージが強い世界にありながら、非常に高い評価を受けている。しかしその陰で、二人はただひたすらに自らの芸を磨いてきた。「10年くらい前までは、本当に太鼓一辺倒で、私たちの太鼓が“苦行”と評されることもありました」と二人は言う。「でも今では、太鼓以外からも、さまざまな新しい何かを吸収して、以前よりも自由に打てるようになってきましたね」また、和太鼓を世界中に広めるべく、海外公演を行うとともに、ワークショップにも積極的に取り組んでいるという。「和太鼓を教えながらも、実は考え方や文化の違いなど、こちらが学ぶことの方が多いんですよ」厳しい練習を経て一流と認められるようになった今もなお、日々学び、成長を続ける。そんなお二人に、これまでの軌跡と、今、何を感じ、何を想うのかを語ってもらった。

厳しくも充実した人生。これこそが、私たちの求めていたものでした。

自然と健康

人生を変えてくれた 太鼓との出会い

川名 私と小川は中学から短大まで、いわゆる私立のお嬢様学校に通っていたんです。親としては、「いい学校に入り、いい会社に就職して、いい旦那さんを見つけて幸せな家庭を築いてほしい」という想いが強かったんでしょうね。私自身も、当然そうなっていくものだと考えていましたし、「楽しければいいじゃ~ん」なんて言いながら、とくに何かに打ち込むでもなく、ぬくぬくと暮らしていました。ところが太鼓に出会い、そんな生活が180度変わったんです。そもそも太鼓をはじめたきっかけは、高校の学園祭でした。和太鼓の演奏は毎年恒例になっていたのですが、それに私たちを含めた6人で挑戦しようという話になって・・・。先生を探しまわって、たまたま見つけたのが『助六太鼓』という伝統と実力のあるグループだったんです。みなさん、とても親切で、右も左もわからない私たちのために、マイケル・ジャクソンの曲をアレンジして、わかりやすく教えてくれました。すごく楽しくて、みんなで練習にのめりこみましたね。おかげで、学園祭の演奏は大好評でした。

苦しみに耐えれば喜びは倍になる

小川 小さい頃からのお祭り好きの血が騒いだこともあって、私と川名は太鼓の楽しさにハマリ、学園祭が終わった後も助六太鼓で稽古を続けました。でも、あまり熱心な生徒ではなかったんです。それが変わったのは、短大2年生のときに、天邪鬼のリーダーである渡辺先生と知り合ってからでした。すでに助六太鼓で10年近い実績を持っていた先生が、「俺が太鼓の何たるかをおしえてやる」と言ってくださったので、私たちは学校が終わるとすぐに先生の家へ行き、夜中の2時 頃まで練習するようになったんです。先生の教え方は、手の皮が裂けて血だらけになろうが、「打ち続けろ!」という、それは厳しいのものでした。しかも、間違えるとバチで容赦なく叩かれるんですよ。でも、辞めたいと思ったことはありませんでした。スポコン精神ってやつですね(笑)。苦しければ苦しいほど喜びも大きくなると感じていましたし、厳しいけれど、やってきたことが血となり骨となる―――― そういうことに強く惹かれていたんです。「私たちの求めていた道はこれなんだ!」と。そして、就職を考えなければいけない時期に、ちょうど先生が助六太鼓からの独立を考えていらっしゃたので、私たちは迷わずついていくことにしたんです。

ひたすら上を目指して 太鼓に打ち込む毎日

川名 助六太鼓から独立して、天邪鬼を結成した当時は、楽器も収入もなくて。地方で夜のショーをやってお金を貯め、一つずつ楽器を揃えていきました。昼間は、太鼓の練習をして、ランニングや筋力トレーニングをして・・・。夜のステージが終わると、先生が言うのは決まって一言、「違う」と。そんな試行錯誤を重ねながら、「もっと上だ、もっと・・・」と、必死でした。
20代 の頃は、ずっとそんな感じで、わき目もふらず、太鼓を打ち続ける日々でした。でも、その甲斐あってか、少しずつ名前が知られるようになり、公演の回数も増えていきました。そして、パーカションやピアノ、ギター、三味線など、いろいろな楽器と共演したり、衣装やビジュアル面にこだわってみたりと、天邪鬼独自のパフォーマンスを創りあげていったんです。

太鼓をやっていくには、常に自分を磨かなければならない。
厳しいようだけれど、逆に人生が豊かで楽しいものになりました。

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ゆとりが生まれてさらに成長できた

小川 私も休日は、プールで泳いだり、ドライブをしたりと、自分が心地よいと思えることをするようにしています。そういうことって、実は太鼓をはじめてから十数年まったくやってこなかったんです。休みの日でも太鼓のことばかり考えていましたから。でも、それでは太鼓のことしか知らない太鼓打ちになってしまう。だから今は、心地よいことをするのもそうですが、絵を観たり、音楽を聴いたりと、いろいろなことをして、精神的な部分も磨いていきたいと思っているんです。先日は、久しぶりに家族で旅行に行ってきました。今年の一月に母が病気で倒れてしまったんです。今は元気に働いているのですが、そのとき母自身「人生楽しまなきゃ」と思ったんでしょうね。みんなで行こうと言い出したんです。祖母+両親と姉と私の5人で軽井沢へ行ったんですが、子どもの頃のような安心感を味わいました。おいしいものを食べて、ショッピングをして、緑の中を車で走って・・・。すごく癒されましたね。その後で太鼓にふれたら、「あぁ、こういうエッセンスもあったんだ!」と気づくことがいっぱいあって。以前は、太鼓以外のことを考えるのは、不純な気がしていたんです。でも、太鼓から離れたところでおもいっきり楽しむことも必要なんだ、と今では実感しています。

一番大事なのは「精進する心」

川名 太鼓をはじめて以来、私たちが大切にしてきたもの、それは「精進する心」です。太鼓に向かっているときも、そうでないときも、精進して自分を高めていれば、太鼓はそれに応えてくれるということなんです。これは先生の教えでもありますが、自分たちが実感していることでもあります。自分を十分に高められていれば、体は勝手に動いてくれます。逆に心にスキがあると、自分の頭をバコンと叩いてしまったりするんですよ。普段の生活にしても、休みの日の過ごし方にしても、太鼓があるからプラスの方向へ進んで行ける。精進する心―――厳しいようだけれど、このおかげで、一日一日が、楽しく充実したものになっています。

太鼓とともに世界を巡ると、驚きや感動がたくさんありました。

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“道”としての太鼓を伝えたくて

川名 柔道や茶道など、日本には“道”と名のつくものがたくさんありますよね。そこにはテクニックを磨くだけではなく、それを通じて人生全体を豊かにしてゆく―――― そんな意味があるんだと思います。そして、太鼓にも“道”がある。そういうことも含めて、和太鼓の素晴らしさを世界中に伝えられたら―――― そんな思いで、演奏だけでなく、交流会や指導も精力的に行っています。

人とのふれあいのなかで学ぶこと

でも、いろいろな場所で公演や指導をするなかで、逆に学ぶことのほうが多いんです。

去年、ニューヨークのロチェスター大学で、聾唖者のための公演をしたことがありました。風船をお腹に抱いてもらって、そこから振動の強弱やリズムを感じてもらったんですが、私たちの演奏が終わると彼らは、できるかぎりの叫び声と、胸をパンパンと力強く叩くジャスチャーで、感動を伝えてくれました。「音楽に国境はない」といいますが、そのときには、障害を持った方との間にも、やはり国境はないんだと感じました。山梨の聾唖太鼓の人たちとも行動をともにしていたんですが、彼らの太鼓を聴かせてもらって驚きました。音がぴったり揃っているんですよ。振動を感じながら、ほかの人が打つタイミングをすごくよく見ているんです。それを目にしたときには、自分たちは何て怠慢なんだろうと、つくづく思いました。

小川 ブラジルでの公演も印象的で、日本人としてのアイデンティティーを強く意識させられました。日系の方がたくさんやって来て、「私のおじいちゃんは福岡の出身なんです」と言って手を強く握ってくる人がいたり、日本の演歌を私たちより詳しく知っている人がいたり。彼らが自分たちのルーツにすごく誇りを持っていることを感じました。でも彼らが、「これが日本のものなんだ」と表現するものは、たとえば、すきやきがマーガリン味だったりと、現地の習慣が混ざり、まったく違ったものになっていたんです。日系人の和太鼓グループが打つ太鼓も、中身はサンバ音楽でした。とにかく、本物のすきやきを食べさせてあげたいし、本物の太鼓の音を聴かせてあげたい。本当の日本、現在の日本を知ってほしいと思いました。でも、そう考えたとき、逆にそれは一体何なのだろうと、深く考えさせられました。

教えることは難しいけれど、伝え続ける情熱を大切にしたい。

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私たちを指標にする 誰かのために

小川 たとえば、熊川哲也さんといったら、バレエを知らない人でも、「ああ、バレエのーーー」となりますが、和太鼓の世界では有名な、林英哲さんの名前を言っても、一般の人にはわかりませんよね。
演歌では氷川きよしさんがいて、彼にあこがれる若い人も増えてきましたが、和太鼓にもそういう“スター”みたいな人がいると、取り組む人も増えるし、盛り上がってくるはずです。私たちも、スターを目指すわけではないのですが、誰かが指標としてくれるような、そういう存在でありたいと思っています。実際に、「天邪鬼さんの太鼓はあこがれです」と言ってもらえることもあります。正直、それはすごくうれしいですね。