太鼓集団 天邪鬼 amanojaku 新聞雑誌記事
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東京新聞
文化庁初の「文化交流使」に伝統芸能界から3人!

文化庁月報
文化交流使派遣
読売新聞↓
編集手帳
⇒TBS キテミテ
受け継いだものに、自分なりの新しさを加える。それが彼女流。
 キテミテWeb
⇒読売新聞土曜芸能
天邪鬼の小川・川名コンビ古来からの響き・楽しさ表現
⇒自然と健康Web
こころ素直に
小川・川名インタビュー
⇒イギリス エジンバラ公演
ヘラルド紙・スコッツマン紙
力強く肉体的、ビジュアル面では驚きにあふれ完璧に翻弄される。
⇒ゆほびか
和太鼓の演奏は体が資本の仕事
⇒読売新聞
個人技再評価の動きも 女性前面に出す「天邪鬼」
⇒東京新聞
ガッツも太鼓判
⇒国立劇場
高度に洗練された演奏を展開する。天邪鬼と並ぶ奏者は稀だろう
ラティ−ナ
エリアサル・ジャネス日本滞在記−和太鼓の真髄に触れて
⇒エルサルバドル
これまで行われた
最も素晴らしいコン
サ−トのひとつ
2005年1月
 時の動き
<輝く女性>
川名真由美
    

政府広報 1月号 (内閣府) 前のページに戻る
 輝く女性  →シリーズ33
   川名真由美  和太鼓は生きている楽器
            全身全霊をかけて演奏する

自然と健康 11月号 株式会社 日本ジャーナル出版 前のページに戻る
 
美しきナチュレルたち
         小川ひろみ・川名真由美
 
こころ素直に  まっすぐにぶつかれば必ず何かが返ってくる
         その経験が私たちを素直な気持ちにさせてくれる  
         まるで遠い国へ響く音楽のように
 
日々精進して自分を高める
 
道としての太鼓を伝えてゆきたい
 
4尺もの大太鼓を間に、スレンダーな女性二人がバチをかまえる。透き通るような静寂が周囲をそっと包み込む。と、次の瞬間、まるで稲妻が大地を打つかのような衝撃が走った。背の後ろから振りかざされるバチ、そしてその先から、鋭く、強大な力がまるで閃光のように放たれる。先刻まで小さく見えた二人の姿が、いつしか巨大な仁王像と重なる。そのとき私は思う、彼女がちが太鼓の神を呼び起こし、その声が私の魂を揺さぶっているのだ、と――― 。 川名真由美さんと小川ひろみさんは、太鼓集団“天邪鬼”を代表する奏者だ。リーダーの渡辺洋一氏とともにグループを結成し、さまざまなジャンルの音楽を取り入れながら、和太鼓の新しい可能性を次々と引き出してきた。その巧みな技術は「男性の芸能」とういうイメージが強い世界にありながら、非常に高い評価を受けている。しかしその陰で、二人はただひたすらに自らの芸を磨いてきた。「10年くらい前までは、本当に太鼓一辺倒で、私たちの太鼓が“苦行”と評されることもありました」と二人は言う。「でも今では、太鼓以外からも、さまざまな新しい何かを吸収して、以前よりも自由に打てるようになってきましたね」 また、和太鼓を世界中に広めるべく、海外公演を行うとともに、ワークショップにも積極的に取り組んでいるという。「和太鼓を教えながらも、実は考え方や文化の違いなど、こちらが学ぶことの方が多いんですよ」 厳しい練習を経て一流と認められるようになった今もなお、日々学び、成長を続ける。そんなお二人に、これまでの軌跡と、今、何を感じ、何を想うのかを語ってもらった。
 
厳しくも充実した人生。これこそが、私たちの求めていたものでした。

 
人生を変えてくれた 太鼓との出会い
 
川名
 私と小川は中学から短大まで、いわゆる私立のお嬢様学校に通っていたんです。親としては、「いい学校に入り、いい会社に就職して、いい旦那さんを見つけて幸せな家庭を築いてほしい」という想いが強かったんでしょうね。私自身も、当然そうなっていくものだと考えていましたし、「楽しければいいじゃ〜ん」なんて言いながら、とくに何かに打ち込むでもなく、ぬくぬくと暮らしていました。ところが太鼓に出会い、そんな生活が180度変わったんです。そもそも太鼓をはじめたきっかけは、高校の学園祭でした。和太鼓の演奏は毎年恒例になっていたのですが、それに私たちを含めた6人で挑戦しようという話になって・・・。先生を探しまわって、たまたま見つけたのが『助六太鼓』という伝統と実力のあるグループだったんです。みなさん、とても親切で、右も左もわからない私たちのために、マイケル・ジャクソンの曲をアレンジして、わかりやすく教えてくれました。すごく楽しくて、みんなで練習にのめりこみましたね。おかげで、学園祭の演奏は大好評でした。
 
苦しみに耐えれば喜びは倍になる
 
小川
 小さい頃からのお祭り好きの血が騒いだこともあって、私と川名は太鼓の楽しさにハマリ、学園祭が終わった後も助六太鼓で稽古を続けました。でも、あまり熱心な生徒ではなかったんです。それが変わったのは、短大2年生のときに、天邪鬼のリーダーである渡辺先生と知り合ってからでした。すでに助六太鼓で10年近い実績を持っていた先生が、「俺が太鼓の何たるかをおしえてやる」と言ってくださったので、私たちは学校が終わるとすぐに先生の家へ行き、夜中の2時頃まで練習するようになったんです。先生の教え方は、手の皮が裂けて血だらけになろうが、「打ち続けろ!」という、それは厳しいのものでした。しかも、間違えるとバチで容赦なく叩かれるんですよ。でも、辞めたいと思ったことはありませんでした。スポコン精神ってやつですね(笑)。苦しければ苦しいほど喜びも大きくなると感じていましたし、厳しいけれど、やってきたことが血となり骨となる----  そういうことに強く惹かれていたんです。「私たちの求めていた道はこれなんだ!」と。そして、就職を考えなければいけない時期に、ちょうど先生が助六太鼓からの独立を考えていらっしゃたので、私たちは迷わずついていくことにしたんです。
 
ひたすら上を目指して 太鼓に打ち込む毎日
 
川名 助六太鼓から独立して、天邪鬼を結成した当時は、楽器も収入もなくて。地方で夜のショーをやってお金を貯め、一つずつ楽器を揃えていきました。昼間は、太鼓の練習をして、ランニングや筋力トレーニングをして・・・。夜のステージが終わると、先生が言うのは決まって一言、「違う」と。そんな試行錯誤を重ねながら、「もっと上だ、もっと・・・」と、必死でした。
20代の頃は、ずっとそんな感じで、わき目もふらず、太鼓を打ち続ける日々でした。でも、その甲斐あってか、少しずつ名前が知られるようになり、公演の回数も増えていきました。そして、パーカションやピアノ、ギター、三味線など、いろいろな楽器と共演したり、衣装やビジュアル面にこだわってみたりと、天邪鬼独自のパフォーマンスを創りあげていったんです。

 
太鼓をやっていくには、常に自分を磨かなければならない。
厳しいようだけれど、逆に人生が豊かで楽しいものになりました。

 
ゆとりが生まれてさらに成長できた
 
川名 2728歳になったあたりから、やっと自分たちの思うような太鼓を打てるようになってきました。それからはもう、太鼓を打つのが楽しくて楽しくて。それが今もずっと続いてる感じです。では、その間あまり変化なくやってきたかというと、まったく逆で、精神的にゆとりが出てきたことで、二人ともものすごく変わってきました。私の場合は、結婚も大きく影響しています。たとえば、夫はスポーツ観戦が大好きで、オリンピックを見ながら泣いちゃったりするんですよ(笑)。結婚した当初は、そんな彼の気持ちがまったく理解できませんでしたし、オリンピックを応援する自分というものも考えられなかったんです。「私はプレイヤーの側。一番を目指すのは私なんだ」と思っていましたから。でも、彼がいろいろなスポーツについて、ルールから選手の経歴に至るまで、詳しく教えてくれて・・・。そこにも、すごいドラマがあるんだということが、わかってきたんです。選手がどれだけがんばっているかというのも、サポーターの側から見られるようになって、今回のオリンピックなんてもう、大泣き(笑)。そういうことがきっかけとなり、「ほかの人の人生も、面白いな、勉強になるな」って、感じるようになりました。休みの日は、夫の好きなプロレスや野球を、一緒に見ることが多いですね。「いけーっ!」と叫んだりしながら(笑)。自分のなかにも、こんな人格が潜んでいたのかと驚いています。でも、「それでいいんだ」と思える、心底リラックスしている自分いるんですね。そんな風に過ごした後は、太鼓にもフレッシュな気持ちで向き合えます。ものの見方が広がったことで、より自由な表現ができるんです。ひたすら太鼓を打ち続けていた20代の頃とは、また違った充実感を覚えています。
 
小川 私も休日は、プールで泳いだり、ドライブをしたりと、自分が心地よいと思えることをするようにしています。そういうことって、実は太鼓をはじめてから十数年まったくやってこなかったんです。休みの日でも太鼓のことばかり考えていましたから。でも、それでは太鼓のことしか知らない太鼓打ちになってしまう。だから今は、心地よいことをするのもそうですが、絵を観たり、音楽を聴いたりと、いろいろなことをして、精神的な部分も磨いていきたいと思っているんです。先日は、久しぶりに家族で旅行に行ってきました。今年の一月に母が病気で倒れてしまったんです。今は元気に働いているのですが、そのとき母自身「人生楽しまなきゃ」と思ったんでしょうね。みんなで行こうと言い出したんです。祖母t両親と姉と私の5人で軽井沢へ行ったんですが、子どもの頃のような安心感を味わいました。おいしいものを食べて、ショッピングをして、緑の中を車で走って・・・。すごく癒されましたね。その後で太鼓にふれたら、「あぁ、こういうエッセンスもあったんだ!」と気づくことがいっぱいあって。以前は、太鼓以外のことを考えるのは、不純な気がしていたんです。でも、太鼓から離れたところでおもいっきり楽しむことも必要なんだ、と今では実感しています。
 
一番大事なのは 「精進する心」
 
川名 太鼓をはじめて以来、私たちが大切にしてきたもの、それは「精進する心」です。太鼓に向かっているときも、そうでないときも、精進して自分を高めていれば、太鼓はそれに応えてくれるということなんです。これは先生の教えでもありますが、自分たちが実感していることでもあります。自分を十分に高められていれば、体は勝手に動いてくれます。逆に心にスキがあると、自分の頭をバコンと叩いてしまったりするんですよ。普段の生活にしても、休みの日の過ごし方にしても、太鼓があるからプラスの方向へ進んで行ける。精進する心--- 厳しいようだけれど、このおかげで、一日一日が、楽しく充実したものになっています。

 
太鼓とともに世界を巡ると、驚きや感動がたくさんありました。
 
“道” としての太鼓を伝えたくて
 
川名 柔道や茶道など、日本には“道”と名のつくものがたくさんありますよね。そこにはテクニックを磨くだけではなく、それを通じて人生全体を豊かにしてゆく---- そんな意味があるんだと思います。そして、太鼓にも“道”がある。そういうことも含めて、和太鼓の素晴らしさを世界中に伝えられたら---- そんな思いで、演奏だけでなく、交流会や指導も精力的に行っています。
 
人とのふれあいのなかで学ぶこと
 
でも、いろいろな場所で公演や指導をするなかで、逆に学ぶことのほうが多いんです。
去年、ニューヨークのロチェスター大学で、聾唖者のための公演をしたことがありました。風船をお腹に抱いてもらって、そこから振動の強弱やリズムを感じてもらったんですが、私たちの演奏が終わると彼らは、できるかぎりの叫び声と、胸をパンパンと力強く叩くジャスチャーで、感動を伝えてくれました。「音楽に国境はない」といいますが、そのときには、障害を持った方との間にも、やはり国境はないんだと感じました。山梨の聾唖太鼓の人たちとも行動をともにしていたんですが、彼らの太鼓を聴かせてもらって驚きました。音がぴったり揃っているんですよ。振動を感じながら、ほかの人が打つタイミングをすごくよく見ているんです。それを目にしたときには、自分たちは何て怠慢なんだろうと、つくづく思いました。
 
小川 ブラジルでの公演も印象的で、日本人としてのアイデンティティーを強く意識させられました。日系の方がたくさんやって来て、「私のおじいちゃんは福岡の出身なんです」と言って手を強く握ってくる人がいたり、日本の演歌を私たちより詳しく知っている人がいたり。彼らが自分たちのルーツにすごく誇りを持っていることを感じました。でも彼らが、「これが日本のものなんだ」と表現するものは、たとえば、すきやきがマーガリン味だったりと、現地の習慣が混ざり、まったく違ったものになっていたんです。日系人の和太鼓グループが打つ太鼓も、中身はサンバ音楽でした。とにかく、本物のすきやきを食べさせてあげたいし、本物の太鼓の音を聴かせてあげたい。本当の日本、現在の日本を知ってほしいと思いました。でも、そう考えたとき、逆にそれは一体何なのだろうと、深く考えさせられました。

 
教えることは難しいけれど、伝え続ける情熱を大切にしたい。
 
私たちを指標にする 誰かのために
 
小川 たとえば、熊川哲也さんといったら、バレエを知らない人でも、「ああ、バレエの---」となりますが、和太鼓の世界では有名な、林英哲さんの名前を言っても、一般の人にはわかりませんよね。演歌では氷川きよしさんがいて、彼にあこがれる若い人も増えてきましたが、和太鼓にもそういう“スター”みたいな人がいると、取り組む人も増えるし、盛り上がってくるはずです。私たちも、スターを目指すわけではないんですが、誰かが指標としてくれるような、そういう存在でありたいと思っています。実際に、「天邪鬼さんの太鼓はあこがれです」と言ってもらえることもあります。正直、それはすごくうれしいですね。そして、そういう風に見てくれる人がいるのだから、油断はできないし、いつまでも打っていかなくてはと思います。私たちが60歳まで打っていれば、彼女たちも、「私もあの歳まで打てるんだ」と思うでしょうし。期待を裏切らないようにしたいですね。日々精進です、やっぱり。でも、私たちの場合、それを心から楽しんでいるんです。基本はスポコンですから(笑)
 
どうやったら伝わるか 試行錯誤を続けて
 
川名 小さい子どもでも、太鼓とバチを渡すとたたきます。ちゃんとドンドンと打ったら、カッカと返すから不思議ですね。でも、なんとなくやっているとすぐに飽きてしまいます。もし太鼓を“道”としてとらえて取り組めば、すごく面白くなるのに・・・。それを実感しているから、伝えたくて伝えたくて仕方がありません。みんなの心を動かすような、いい演奏をして、さらに直接指導することも、もっともっとしていきたい。でも、実際に教えてみると、これが本当に難しくて。どうやったらうまく伝えられるのか、試行錯誤の最中です。教えているうちに、つい熱くなってしまって、渡辺先生から「ヒステリックに見えるぞ」って言われることもあります。でも、そうやってまっすぐにぶつかっていけば、いつかはちゃんと伝わるはず。あきらめずに教え続けることが、大切なんだと思います。ゆくゆくは道場を開きたいというのが私たちの夢です。そこでシニアやジュニア、女性のための太鼓をやってみたい。太鼓は誰でも楽しめる楽器ですから、いろいろな方に教えていきたいんです。それに、おばあさんになっても、同年代の人たちに教えながら一緒に楽しくやれたら最高ですね。でも、これは夢で終わらせない自信があります。「強い思いで信じ続ければ、夢は絶対にかなう」。そうやって今までたくさんの夢を、実現させてきまたから。


■2004年3月22日 読売新聞   前のページに戻る
  編集手帳
イラン・イラクの国境地帯を舞台に、クルド人の悲劇と希望を描いた映画「わが故郷の歌」が、都内の岩波ホールで上映されている
◇クルド人は、イラク、トルコ、イランなどに分散し、独自の国家を持たない最大の民族と言われる。主人公である三人のミュージシャンが奏でる哀愁を帯びた民族音楽が美しかった。地域の個性豊かな文化にこそ、広く世界に訴える普遍的な力が宿るのだろう◇文化庁は、世界の人々に様々な文化を伝える「文化交流使」の事業を今年から始めた。落語家の笑福亭鶴笑さん、和太鼓奏者の渡辺洋一さんら十二人が任命され、その活動報告会が、先日、開かれた◇鶴笑さんは、タイの学校や老人ホーム、スラム街など三十か所を訪ね、片言のタイ語を駆使しながら、人形を使った落語や南京玉すだれなどの芸を熱演したという◇米国内の和太鼓演奏グループを指導した渡辺さんは、チューインガムをかみながらレッスンを受ける若者たちに、心技一体の精神を説いた◇最初はピンと来なかった若者たちも、雷、雪、嵐、などを表現する渡辺さんの気迫の太鼓に、圧倒された様子だったという。「真心で接することで、言葉や宗教の壁を乗り越えることができる」と渡辺さんは話す。個性がぶつかり合う交流は、やがて大きな実を結ぶことだろう。

■文化庁月報 1月号 前のページに戻る
太鼓集団天邪鬼代表 渡辺洋一さん に聞く
 
渡辺さんは、現在、太鼓集団「天邪鬼」の代表として、また財団法人日本太鼓連盟一級公認指導員・技術認定委員として、公演のみならず、国内外における後世育進にも力を注いでいます。渡辺さんは、八月十五日から九月六日までの一ヶ月間、米国コロラド州のデンバーにおいて、現地の和太鼓グループの指導をしたほか、子供たちへの講習会や、現地の和太鼓グループ等との共同公演を行いました。今回、デンバーでの活動について、おうかがいしました。

―まず、文化交流使として、渡米し、最初に地元の和太鼓の演奏を聞いたときの感想などをお聞かせください。
確かに楽器は日本の太鼓を使ってはいるが、音作り、演奏形態、心構えに至っては、少なくとも“日本の太鼓”ではないと感じました。おそらく日本の太鼓を習ったことはわずかで、CDやビデオといった物から自分たちなりに勉強し、摂取してきたのではないかと推察されました。その努力は評価に値するが、しかし残念ながらその方法では“日本伝統の心”“本質”を取得することが難しく、実際彼らの演奏は“和太鼓を使用したアメリカの打楽器音楽”というものに感じました。
 
―指導をするに当たって特に苦労したことは何ですか
二七年間という長い間、自分たちなりに考え、演奏をしてきてしまったがために不必要な“クセ”がついてしまい、その“クセ”を直すことが大変でした。また、和太鼓の基本姿勢や基本打法という“基礎”ができていないところに“もっとはでに!”という理由からアクロバット的な打ち方をしたり、突然奇声を発したり(邦楽の“かけ声”をまねているのであろうが・・・)邦楽ではないリズム形態を挿入したりと多種にわたる“考え違い”を取り除き、正すことに骨を砕きました。どんな芸能や芸事、芸術でも基本となるものは“シンプル”です。しかし彼らのからすれば楽器に向かう心構えや所作等はめんどうであり、何のためのものかわからなかったようです。“早く、かっこうよく、日本的情緒が表現できること”が大切なのであり、実は“本質”“基礎”といったものがいちばん重要でいちばん難しく、そしてできたときにはいちばんかっこうがよいものだと伝えることが難しかったです。
 
―指導やデンバー太鼓との公演を通じて印象に残った出来事などありますか。
デンバー太鼓のメンバーとの心の“触れ合い”“魂のぶつかり合い”をもてたことが特に深く心に残っています。最初に顔を合わせてから、日を追うごとに“師匠と弟子”という間柄に発展していきました。日本でいうところの“師”という存在が根本的にないアメリカで、この関係を築けたことは、私自身、今もって驚くばかりです。ともに汗を流し、音を奏で、和太鼓を通して一日ごとに互いの信頼を深め、人はわかり合えることを実感し、真の文化交流ができたと今、思えています。
 
―アメリカでの指導において、日本と違う文化にも触れることがあったと思いますが、日本とアメリカの文化の違いをどのように感じましたか。
良きにつけ悪しきにつけ、人々は日本人より何事においても開放的でした。それが典型なる明るさの由縁になるのでしょうか・・・日本の“礼儀作法”にはまったく無頓着で、お稽古中にガムをかんでいる(メジャーリーグのTV映像でおなじみだろうが・・・)また、指導中の返事が「Yeah!」「Uh’huh!」これにはさすがの私も困ってしまいましたが、日本の芸事の世界では先生・先輩・年長者などにいわれたことに対しては「はい」と答えます。“相づち”ではなく、“返事”です。日本の礼儀作法も一つの誇れる文化であると考える私は、この点に大きな違いを感じました。
 
― また、今回、デンバーで耳の不自由な人々に対する和太鼓指導を行いましたが、そのときの感想などをお聞かせ下さい。
ハンディキャップを負った人々への太鼓の指導は、ある意味その資格などをもとないとできないかもしれないと思い込んでいた部分がありました。しかし健常者とまったく変わりなく教え、太鼓の楽しさを知ってもらえることができました。単に手話通訳が必要なだけです。太鼓に限らず、心の底から何かを“勉強しよう!”“修得しよう!”と考えている人間と“私達の文化はこういったものだよ!”と本当に伝えようとする気持ちが出会ったときに、何一つ問題になるものはないとつくづく感じました。言葉がないぶん、逆に心と心がじかに触れ合い、そのつながりを深く結べた気がしました。
 
―最後に、今回、文化交流使として活動したことについて、またこの文化交流使の制度について感じたことがあったらお聞かせ下さい。和太鼓は日本の誇る最も庶民的な民俗芸能であり、その和太鼓が米国で独自の発展を遂げている状態を目の当たりにし、正直驚きを隠せませんでした。“伝統”という枠の中でかたくなに守られてきたものが、長い年月を経てその土地や風土、または時代といったものに適合し、変遷していく。これが日本と米国では変化の仕方が著しく異なっていた。何事であれ“ものごとの本質は心にありき”と考える日本と、本質は“形”であり、“見た目”であり、“楽しさ”であると考える米国の違いでしょう。確かに、“変化”“変貌”は文化という形ないものを後世にのこしていくために大切だあるに違いないが、“文化”とは人がつくり、人が感じるものであるがゆえに、“心”を忘れては“無”になってしまうということを、私自身あらためて感じることができました。日本の文化を継承している者の一人として“日本”という国の文化が海を渡るとどのように変貌し、伝えられているかを知り、小さな一歩、小さな力かもしれませんが、正しい“日本文化”を伝え続けるために今後も精進しなければと気持ちを新たにしました。願わくば、末永くこの事業が続き、“文化大国日本”という新しい分野での我が国を、世界に発信し続けてほしいと望んでいます。
 (インタビュー 構成 /  国際課)

■8月2日 東京新聞 夕刊
 文化庁 初の「文化交流使」に伝統芸能界から3人!
渡辺洋一は、今月15日から9月7日まで、ロッキー山ろくの米国コロラド州のデンバーに赴く。現地には、日系3世の人達が伝承している和太鼓を起源とする「デンバー太鼓」と呼ばれる音楽がある。請われて太鼓の指導に行く渡辺は「和太鼓が歳月を経て、アメリカの人たちの手によって、どんな形に変化しているのか興味深い」と、初めて訪れる土地での出会いを楽しみにしている。日本でも太鼓の普及には、人一倍熱心な渡辺。聴覚障害者に太鼓を楽しんでもらおうと、抱いた風船を共鳴させて”音”を感じさせるノウハウもある。
「現地の障害者の人にも、ぜひ太鼓を教えたい。短い期間なので、とにかく地域に密着して活動してきます。」
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文化交流使とは?
文化庁が「国際文化交流懇談会」(座長・平山郁夫東京芸大学長)の提言を受け、2003年度から設けた。指名を受けると、原則として1ヶ月以上1年以内の期間で海外に派遣され、日本文化の情報発信や国際交流などを図る。

イギリスエジンバラ公演 2002年8月 前のページに戻る
 
 Herald 7/08 by Rob Adams
この和太鼓公演のはじめを飾る巨大音のまるでながい刺青のような大太鼓演奏は巨匠のマ−クであった。客席の後まで耳には多少つらいが、それからつづくすべてがかえってとてもソフトに感じることができる。つづいて披露されたのは真の技術、見事にまで振り付けされた動作、エネルギッシで鍛えぬかれたパーカッション。日本からのこの六人はガレージで最近演奏したラナクシャイアの太鼓仲間ほどは笑いや観客参加は無いが、表情が厳しいだけパフォーマンスもより完成されている。しきりになる鐘と元気な掛け声におされ、きめ細かいふちの音やバレーのような打ち方でできあがっているカラカラと響く喜びにあふれるフィナーレは実に劇的だ。
 
ドラマーやドラムソロの無意味さを笑う冗談は忘れて欲しい。これは芸術である。

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 Sunday Herald 11/08/02
自分としてはまれな経験だが、やっとくびすじの毛がさき立つ思いをした。それは以前に書いたタレント探しには無関係。和太鼓演奏はハワイのポリネシアン文化センター以来のすさまじいパーカッシン体験であり、あの偉大なジーン・クルパでさえリズミの初心者に戻すだろう。五人のドラマーが五十分間互いに調子を統一させるのを見るのは喜びそのものであった。自分をシンコペーションフラムの大家とはおもわないが、このショーがあなたにスマイルを届けるとあなたのドゥギー・バイポンドに対し、フィル・コリンズを賭けたっていい。

――――

3 Weeks 15/8  Amanojaku Taiko Drums
フリンジに来る誰もが和太鼓を見るべきだ。最適の聴覚のカタルシスを得られサイナスはすっきり、感性はずきずきする。少人数での演奏だがそれはパフォーマンスから得らるまるで内臓を抜き取られるような快感をうきだたせるだけだ。女性のドラマー達は特に力強い。ベーシックなリズムを発展させたビートを太鼓から打ち出しながら喜びの笑みを浮かべる。すべてのドラマー達の動きはゴージャス:きれがありダイナミックでゆうが。Showが終わった時は疲れきり、眠い(そしてすこし耳がとおいような)気分になるかもしれないが、ビ−トを聴きなれているものには欠かせないパワーあふれるすがすがしい体験です。

Strathmore Selects  Lea Harris *****
力強く肉体的、ビジュアル面では驚きあふれ、完璧に翻弄される。この小さな劇場は天邪鬼がつくりあげる喜びをひたすら引きたてる。彼らの楽器からときはなつ感情はまるで神秘的で、生のエネルギーが脊髄まで避けすすみ、体全身が響きにふるえ、疲労と元気をいっしゅんに感じる。この3人の男性と3人の女性の努力はすべての動き、すべてのドラムストロークに表れている。ステージにあがって数分で背や額からは汗がしたたる。かれらの唯一の休みは涌井晴美が美しい怪しげな曲を唄う時のみ、彼女の声だけが全体験に静けさを戻し、われわれも一息つく。そしてまた嵐の中に逆戻り。大太鼓という巨大なドラムがステージの真中にひきだされる。大きなドラムから台風をかき出す演奏のために必要な集中力とコントロールにはいきを飲む。今回はあまのじゃくの始めてのエジンベラ出演で、完売のパフォーマンスからみるとまた来てくれるだろう。太鼓のドラミングをまだ聴いた事がないなら、毎日披露されている両方とはいかなくともすくなくとも1回の演奏はいくべき。でも二日酔いの時はやめておいた方がいい。驚きで翻弄される。見逃がせない。ドゥード・ロッカーズにどうあるべきかをしめしている。身近に感じれる劇場。強烈な体験。損をしないガレージの一つ。

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驚き!信じられない夜。ガレージに潜む身近で(そしてとても騒々しい)体験。才能もつこのミュージシャン達がすきのないパフォーマンスを完成させるために大変努力を重ねたことは明らかだが,またすべてを明らかに喜びを持ってやっている。太鼓好きにも太鼓が始めての方にも是非進めるが、耳せん持って行くかな?Edinburgh Festival太鼓ドラマーは力強いオーラに満ち、彼らの音楽と演奏が作る内面とまわりをとりまくエネルギーを持ち、いつも格別だ。今年演奏する3人の女性と3人の男性で結成されているあまのじゃくは本当におどろきをもたらす。彼らをみるのは小さな核爆発を1.5メートルほどはなれたの安全地帯から見るようだ。オープニングセットからパフォーマンスは自信に満ち意味深く、そのあまりの優雅さと迫力のある体験はまるでテンポ、ビート、リズムと律動がまわりにうずまくハリケーンの真ん中に座っているかのようだ。この演奏は想像を掻き立てる体験で感情的にさえなる。ドラマー達から発っせられるエネルギーが感じられ、彼らの喜びもプライドも分かり、すべてにひきこまれる。これは印象的なショーです。成功の保証も無く、観客に理解されるかどうか、ましては来てくれるかさえわからず、あまり知られていない劇場で演奏するためにはるばる日本から来るのは並大抵のことではあるまい。わたしが見に行ったのは初日でしたので、新しいパフォーマンススペースになれていくにつれ彼らがどのように変化していくかは想像もつきません。このグループは毎日2回違うショーを披露しており、私は両方見ることと早く予約することをすすめます。初日から満員でした。(政府の健康警告:二日酔いでは行かない事、脳が爆発する危険あり。)

Fest by Laura Kelly巨大なドラムの最初の響きからもうこの小さなパフォーマンス・スペースに音は入りきれない。もしかすると観客の中で鼓膜が無傷で出て来るものはいない。朝っぱらからの騒々しいドラミングはよくないとの恐怖は急に正当化されたかにも見えたが、なんと間違っている心配だ。瞬く間にパワーとスペクタクルが占拠し部屋全体が引きこまれる。和太鼓に対してシニカルになる事は簡単だ。打楽器ばかりで演奏されるショーはつまらない才能に欠けるものになりがちだ。でもこのシニシズムはこの劇場で保つのは難しい。このドラミングはとても熟練され本当にエキサイテイングだからだ。演奏者達が一緒にあげる叫び声には元気ずけられずにはいられない。彼らは技術を持つパワーの素晴らしい模範であり、元気いっぱいの一日のはじめ方でもある。
スリル:全六人のドラマーが一緒に完璧のタイムでプレー。
スピル:二日酔いでは行かない事。

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The Scotsman 8−8−02日本で太鼓は魂を呼び出すといわれる。それが起きたのだろう。なぜか演奏の間私のbiroは爆発した。黒ペンキでぬられたガレージの中で東京から来たニューウエーブ太鼓ドラマー達の爆発的なリズムを聴くのは強烈な体験だ。巨匠ドラマー渡辺洋一と五人の弟子達は信じがたい正確さと型どられた動きをもち、大きな木のドラムに身をぶつけろ。音楽演奏というよりは武術のデモンストレーションに近い。耳がひきさかれるように音は大きく、むねおく深く響き何時間後にも耳の中でなっている。若いドラマー達が体の限界までつっぱしると無意識な叫びやわめきをあげる。かがやく笑みを浮かべる時もある。驚きのスペクタクル。フリンジをこれほどエクサイテイングな場所にしてくれる目を見張るパフォーマンスのひとつ。

Review by Pat Napierガレージの日本人マネージャーのまねきで以前エジンベラに来た太鼓グループを知っている者は今年大変違う体験をするでしょう。初日の観客が証明したようにファンは数多くまた太鼓について詳しい。朝のパーフォマンスがなかったのと、このグループがイギリスではまったく知られていないとの事でみんな好奇心で一杯でした。1986に渡辺洋一をリ−ダーとして設立された天邪鬼は日本のコンテンポラリー太鼓をリ−ドするグループで3人のトップ女性太鼓ドラマーをメンバーとしています。コンテンポラリーはキーワード:なぜなら渡辺のビジョンと幅広い関心は新しい太鼓のアプローチを切り開いているです。かれは日本のにぎやかなお祭への愛着と南米のおどりの鼓動するリズムをあわせ、現だい的西洋音楽もおりこみ、太平洋の向こうのライフスタイルに魅力を感じる外向的でモダンな日本を創りあげる。結果は伝統的スタンダードに根を持ちながらエレクトロニックスに取りつかれた東京のエクサイテイングなざわめきを音楽的に表現。太鼓のエッセンスは生命のビートに目を覚ますよう、色々なサイズの太鼓の面を無限に変動するコンビネーションでリズミックにうつこと:時にはゆるがず、時には遅く、興奮したり用心したり、恐怖にあふれ深く黙想的だったり、とてもスリルがあったり。太鼓打ちは恐るべき技術を養い、それを微妙な優雅さとまぜあわせ、巨だいなスタミナと力とずばぬけた芸を持たなくてはならない。そしてなによりも完璧で一秒を争うタイミングが必要。このすべてとそれ以上が観客の前に披露された。それぞれ15分か20分くらいの曲が3点演奏された。やさしい父役の渡辺洋一は厳しくまで輝く音色の小さなドラムを演奏し、生意気で甲高いフィンガー・シンバルと一緒に伝統的な太鼓とあわさり、やすみのない不安でモダンなフィーリングを呼び出す。かれのドラムは武人のショーをもりあげ、主張を強めるシンバルが入り、喜びの声で叫ぶ3人の女性がよっつの太鼓を打ち、リズム、ヴォリュームとペースを運ぶ。めをみはる芸術性はどの曲にも明らかであり、とくに印象深かったのは二つの太鼓でまったく別の曲をいちどに演奏した巨匠。怒涛では中太鼓をどきどきする深いうちでよびおこし、聴くものにすばやく波打つリズムに海のしぶきが頭の上ではねる時のように身近で本能的な反応をさせてしまう。こもりうたはもっとも南米的でところどころジャズに近いおどりのような曲であったが、ほんとうに日本的で渦巻く岩の池の吸い込まれて終わった。魂の響きは小さなステージを支配するがごとくおかれた大太鼓を使った唯一の曲。この曲で渡辺直人は流れるような威厳にあふれ、ずばぬけていた。音楽に完全に夢中になり流動的に一体化し、どの動きも詩とする巨大な太鼓の名人。かれのソロが終わった時われわれは音楽につかっているあまり拍手を忘れていたが、かれは何も聞こえなかっただろう。上着を脱いだふとっぱらの先生が大太鼓の前に立ち、止まりをしらないカタカタとなりつづけるパーカッションをバックに目が回るようなけたたましいセクションをリ−ドしはじめていた。まるで二日酔いの脳をたたきのめす早撃ちドラミングのように。夜の東京をおもいうかべるにはさほど想像力はいらない、きらびやかでけばけばしいライトや行き来する車のうなりまでも。現代的太鼓は伝統的なものとは本当に味が違う。でもおとらず刺激的だ。

2002年6月2日発売 マキノ出版 ゆほびか 前のページに戻る

1ステージで体重が2sもへる和太鼓の演奏をささえてくれるのは「ニンニク卵」
和太鼓の演奏は体が資本の仕事

 私が幼い頃から常に家にあったのが「ニンニク卵」です。もともとは父の母が自分で作って健康のために愛飲していたもので、両親が祖母から作り方を教わって、私の家でも常備するようになったのです。
幼稚園のころから、カゼのひき始めや、ちょっと体調が悪いときなど、母は必ず「これを飲めばだいじょうぶ」と、薬代わりにニンニク卵を飲ませてくれました。おかげでいたって健康で、学校を休んだこともほとんどありませんでした。
思春期になると、においが気になるのでニンニク卵から遠ざかっていましたが、短大を卒業してプロの和太鼓奏者となってからは、再び愛用するようになりました。
和太鼓の演奏は、体力的にとてもハードです。公演では1時間半から2時間、出ずっぱりですし、練習のときも、3時間ほど休みなしで演奏します。1回の公演や練習で体重が2sへることも珍しくありません。
また、筋力がなくてはいい音を出すことができないので、練習のない日は欠かさずジムに通い、筋力トレーニングと有酸素運動をしています。まさに体が資本の仕事です。
そこで、体力やスタミナ維持のためにニンニク卵を利用するようになりました。疲れたときなどに、ティースプーンに1杯ほど、そのまま食べています。ステーキの上に乗っているガーリックチップスのような味で、カリカリと香ばしく、そのまま食べてもおいしいのです。
最近、父から電話で「ニンニク卵を食べた後にリンゴを食べると、においがおさえられるよ」と教えられました。においが気になる人は、試してみるといいと思います。
料理に混ぜると味にこくが出る
ニンニク卵の作り方を、左ページに紹介しておきます。作るには多少、手間と時間がかかりますが、半年から1年はもつので、一度にたくさん作っておくとよいでしょう。
また、作るときはかなりにおいが出るので、必ず換気扇を回して、窓を開け放して作業しましょう。
なお、私は食感が残っているほうが好きなので、ニンニクは粗みじん切りぐらいの大きさに刻んでいますが、お好みで細かく刻んでもかまいません。
私流のニンニク卵の活用法は、お料理に使うことです。
サラダのトッピングとしてそのまま振りかけたり、ハンバーグのタネを作るときに混ぜ込んだり、スパゲティーのトマトソースを作るときに入れたりします。ニンニクを刻んだり炒めたりする手間が省けるので、料理にニンニク風味を効かせたいときに手軽に使えて重宝します。味にこくが出て、夫にも好評です。
私にとって、ニンニク卵は、昔から親しんできたいちばん信頼できる健康・栄養食品です。皆さんも是非試していただきたいと思います。


■2001年6月27日 TBS キテミテ! 前のページに戻る

川名真由美 (和太鼓奏者)
町のお祭りでバチをまわす姿に憧れ、高校の文化祭で始めたのがきっかけ。
17歳のとき助六太鼓に所属。大妻女子短期大学卒業後、天邪鬼に所属。

和太鼓奏者としてめざすのは?
『伝統』をただ継承していくだけでなく、古いものと新しいものをブレンドさせることで、オリジナリティというものを出していきたいんです
魂を揺さぶる鼓動。
和太鼓集団・天邪鬼の川名真由美さん。
学生時代からの親友、小川さんとの息の合ったコンビ。
女性ならではのしなやかさと、鍛えぬかれた肉体美。その演奏は海外でも高く評価されています。
大切にしていることは何ですか?
「大きな太鼓を打っていますので、筋力をつけることを心がけています。そのために食事をとる、ということもすごく重要なポイントになってきますので…」
彼女が受け継いだのは、なんとニンニクをこまかく刻んで作る栄養剤「ニンニク卵」。
川名家では代々、クスリ代わりとして使われてきました。ニンニクと卵の黄身をあわせてさらに炒めます。
「子供の頃から調子がわるいと母に食べさせられたりして」
この「ニンニク卵」を料理に使うのが、彼女流のアレンジ。
「すこし、今日はニンニクを強めたんだけど」
だんな様もニッコリ。
「このニンニク卵は自分流ですね。母や先祖が知ったら、ちょっと違うんだけどとかいわれるかもしれないですけど(笑)」
受け継いだものに、自分なりの新しさを加える。
それが彼女流。
She is brilliant!


◎1999年9月18日 読売新聞 夕刊 前のページに戻る
女性和太鼓 華麗に競演

和太鼓の女性演奏家を特集した「日本の太鼓−オンナが打つ」が、22.23日の両日、東京三宅坂の国立劇場で開かれる。
戦後生まれの創作太鼓から飛び出した元気な打ち手たちが、
華麗なバチさばきと情熱的な演奏で競演する。
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太鼓集団「天邪鬼」の小川ひろみと川名真由美は、高校時代から演奏活動を始め
ている。和太鼓の魅力や今公演への抱負などを聞いた。天邪鬼の小川・川名コンビ  古来からの響き・楽しさ表現「今、女性の打ち手が増えている中、私たちが選ばれた
ことを素直に喜んでいます」と語る.

小川は、「同時に、良いステ−ジにしなければ、との責任も感じます。女流太鼓の目標となるようなステ−ジに仕上げたい」と口元を引き締めた。
中学、高校、短大と小川と同級生だった川名は、「女性の太鼓奏者を特集する。そんな時代になった事を喜んでいます。男性が打つ時の力強さが出せるように努力するとともに、女性らしい美しさや華やかさのある舞台も生み出したい。改めて、女性が打つことの意味を考えています」と初心を思い返している。

「天邪鬼」に参加して12年。日本古来から伝わる太鼓の間や粋をもとに、太鼓本来の響きや演奏の楽しさを、ステ−ジで表現してきた。
2人が上演する「相生」は、うちわ太鼓と締め太鼓を、ピアノの連弾のように呼吸を合わせて打つ。「長い間、一緒にやってきた強みを武器に、息の合ったステ−ジをお見せしたい」(小川)、「お祭り好きの性格も手伝っているのかもしれませんが、気分的には、日本人の血で打っているような感じです」(川名)と笑顔で語る。2人は、宮太鼓4台を使った「武人」でも流麗なバチさばきを披露する。

◎1998年2月4日
    エルサルバドル 国立プレジデンテ劇場 


2/4 「ディアリオ・デ・オイ」紙 
    (ジャネット・シエンフエゴス・オチョア記者)
               

「日本の太鼓が響く」

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曜と火曜の両日夜、サン・サルバドルで「天邪鬼」の太鼓コンサ−トが行われ、今までに見たこともない最も素晴らしいコンサ−トのひとつとなった。公演はコンサ−トを見に集まった大勢の観客の入場を待つために予定より若干遅れて始まった。午後7時半、文化庁のロベルト・ガリシア長官及び岩元克在エル・サルバドル日本大使の挨拶の後、太鼓が響き始めた。 最初の曲から、渡辺洋一リ−ダ−率いる「天邪鬼」の8人の演奏家(他にスタッフ2人)たちは、個性豊かな楽器(太鼓)演奏の素晴らしい技術だけでなく、伝統豊かな悠久の文化に根ざした経験も観客に示した。3人の若い女性と5人の男性の演奏家は日本の伝統音楽に対する情熱に溢れ、それぞれの楽器を演奏する際のエネルギ−たるや目を見張るものがあった。

「バラエティ−に富んだ演目」

「天邪鬼」によって行われた全ての演目は、日本の生活習慣と関わりをもつものであった。演奏家たちは、大きさの異なる太鼓の演奏によって、自然とその自然に対する人間の営みに関係した様々な活動を呼び覚ました。例えば、「春雷太鼓」では、演奏家たちは時に激しく、弱く、また、遠のいていく春の雷の乾いた響きを表現し、力強い太鼓によって表現される異なった音を通じて並外れた巧みさを見せつけた。公演では約10の演目が行われた。  演目の中でも特に観客の興味を引いたのは寿獅子で、魔除けの獅子が新年に各家庭をまわるという日本の習慣に基づくものである。メンバ−の一人が操る獅子は、音に合わせて愛嬌ある動きで踊り始める。舞台上での演技の後、獅子は観客席へ降り、何人かの観客の頭に牙を当てて幸運をもたらすという仕草を行った。また、演目の中には津軽三味線という3本の弦からなるリュ−ト又はギタ−のような楽器で木のばちを使って演奏するものもあった。三味線奏者が演奏している間に伝統的な着物を着た愛嬌ある二人の踊り子が冬の津軽の厳しい日々をモチ−フに踊りを披露した。  このように、演目が次から次へと行われ、最後に大太鼓といわれる一番大きな太鼓が演奏家のもてる全ての力を使って演奏された。「天邪鬼」はサン・サルバドルで最も素晴らしい夜をもたらしてくれた。エル・サルバドル国民は当地でこれまで行われた最も素晴らしいコンサ−トのひとつとなった今回の「天邪鬼」コンサ−トを実現した日本政府に盛大な拍手をもって感謝する。

同じ記者による「天邪鬼」コンサ−トに対するコメント(上記記者の横の記事)

月曜と火曜に日本の太鼓のコンサ−トが行われた。劇場は満員であった。ロベルト・ガリシア文化庁長官は満員の観客を見て、集まった観客に感謝するのみならず、いつも劇場が今回のコンサ−トのように満員にならないことを嘆いた。毎日頻繁に起こる暴力に嫌気がさしているエル・サルバドル人にとって、今回のような国際的なレベルの日本グル−プの公演は日本政府からの素晴らしい贈り物となった。  今回の平和祭典での二つの素晴らしい公演(ひとつは「天邪鬼」の公演)からは、内容は異なったが、同様の結論が導かれた。  ここでは、エル・サルバドル国民が健全に余暇を楽しむ必要がある。(これは借金を抱えている時はなおさら難しくなるが)というメッセ−ジを強調したい。プレジデンテ劇場を満杯にし、これ程までに満足した観客を見る機会は滅多にない。このような機会を目の当たりにする度に考えることは、エル・サルバドル政府の力だけでは国民全ての要求に応えることはできないことを残念に思う。ここ最近の平和祭典は芸術的に質の高い公演が行われ、これも偏に友好国の後援によって可能となったものである。これは質の高い公演を実現するための重要なオプションであると考える。願わくば、当国の芸術を振興するための学校ができればと思ったいる。  国民が真に必要としているものを提供する必要がある。この意味で、今回のような質の高い太鼓グル−プを紹介してくれた日本政府に心から感謝申し上げる。


◎平成7年9月14日(木)15日(金)

国立劇場  「日本の太鼓」

天邪鬼   高他 毅
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天邪鬼は1986年の末、渡辺洋一さんを代表として結成された、プロの和太鼓グル−プである。

 渡辺さんはもともと、助六太鼓で活動していた。周知のように、これは戦後の後楽園や不忍池近辺の盆踊りで演奏されていたお囃子に邦楽的なリズム、所作、掛け声などを取り入れて洗練されてきた太鼓だ。東京の下町に生まれ、子供のころから祭りの賑わいに惹かれてきた渡辺さんの生い立ちを考えれば、納得できる係わりだろう。ちなみに現在彼と行動を共にしている小川ひろみさん、川名真由美さんも、学生時代から助六太鼓を学んでいて、天邪鬼の旗揚げと同時に加わった二人である。

 しかし、話をここで終わらせては、彼らの現在の活動は理解できない。渡辺さんはもう一方で海外のリズム表現に深い関心を寄せており、特に早くからラテン音楽に傾倒していたと言われる。この辺りに、助六太鼓の枠に収まり切れなかった理由があるのはもちろんのことだ。

 近年の和太鼓演奏者には、打楽器に限らずさまざまなジャンルの音楽とセッションを行う試みが多いが、天邪鬼にもそうした傾向が顕著だ。むしろ、時に自らを「不特定多数の集団」と呼ぶように、常に内外の多様な音楽分野とジョイントすることによって「天邪鬼」というグル−プは存在しているとさえ言えるだろう。しかし少なくとも渡辺さんの場合、単に時流に乗っているのではなく、本来もっていた嗜好に由来するものと考えるべきだろう。いかにも昔ながらの太鼓打ち然とした風貌を裏切るかのように、複雑なリズムを聴き取り、かつ表現する技術、経験、知識において、彼には群を抜いたものがあるし、また小川さん、川名さんの二人も「女性奏者としては」という限定抜きに、高度に洗練された演奏を展開する。天邪鬼と並ぶ奏者は稀だろう。

 ただし、疑問もある。

海外のリズムに身を開く多くの和太鼓奏者と同様、天邪鬼の問題意識も「和太鼓の伝統を、世界に通用する形で現代に再生させること」にある。これは一つの選択として認めよう。しかし具体的にどのような音楽世界を作るかは、それぞれの個性による。彼の言う「凛美(凛とした美)」と技術的な完成度を求めるあまり、演奏が一種の苦行になってはいないかと不安に感じることがある。つまり、ステ−ジ上の個々の奏者の感情を抑制しすぎてはいないか、と。

 渡辺さんの舞台で、それこそ凛とした上質のユ−モアを醸し出す演奏を聴いてみたい、ほぐれた天邪鬼をもっと見てみたいという、これは一太鼓ファンからの少々わがままなお願いと考えていただければ幸いです。

(たかたたけし・「たいころじい」編集人)


◎日本の太鼓 1995年9月2日  読売新聞夕刊    

個人技再評価の動きも  女性前面に出す「天邪鬼」


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集団化によって大衆的人気を得た太鼓だが、近年、個人技を見直そうという動きも生まれている。その担い手の一つが、女性二人を前面に出すユニ−クなプロ集団「天邪鬼」。江戸太鼓の伝統に基づいた創作を持ち味とし、高い技量にも定評がある集団だ。一四日、一五日に国立劇場で開かれる第19回「日本の太鼓」に出演する。打ち手の川名真由美と小川ひろみは、「鬼太鼓座や鼓童という先輩集団の活躍もあり、やっと太鼓も芸能の一分野として認知されてきた。後に続く世代を育てるために、奥の深さを追求したい」と意気込んでいる。


◎1991年8月2日 東京新聞夕刊           

ガッツも太鼓判
夏も盛り。各地から祭りや盆踊りの太鼓が聞こえてくる。
男性優位の世界への女性の進出が目覚ましいが、太鼓も例外ではない。
ただし、習い事程度がほとんど。だが、この二人は違う。

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数少ないプロ

小川ひろみさんと川名真由美さん。「太鼓集団 天邪鬼」のメンバ−である。東京でも珍しい和太鼓演奏のプロ。しかも、厳密に商業芸能活動中の若手女性は彼女たちだけだ。 「太鼓なんて盆踊りで打っているだけでプロがいるなんて思ってもみなかった」  そんな二人が、和太鼓を習い始めたのは、大妻高校(東京都千代田区)に在学中のことだった。”お嬢様学校”として知られる同校の文化祭では、三年生の有志が、祝い太鼓を演奏する伝統がある。「目立つ先輩がやっていてカッコよかったんですよ。三年生になったら自分たちが、と一念発起。友達と計六人でチ−ムをつくり、自力で先生を見つけて猛練習。学内オ−ディションで見事一位に選ばれ、本番でも大喝采を浴びた。二人は文化祭終了後も、和太鼓から離れられなくなる。 「実はこの時ついた先生がプロ和太鼓グル−プ「助六太鼓」の人たちだったんです」 曲に合わせて打つ盆踊りと違い「組太鼓」という和太鼓だけのアンサンブル。振りも付け、聴かせる上に見せる演奏だ。 このグル−プに、現「天邪鬼」のリ−ダ−、渡辺洋一さんもいた。渡辺さんは、和太鼓に三味線、パ−カッション、キ−ボ−ドなどとも融合させたアンサンブルに取り組みたくて「天邪鬼」を結成。「ガッツを見込んで」小川さんと川名さんも誘った。「ちょうど大妻女子短大の二年生で就職を考えなくてはいけない時期でした。でも、フツ−のOLちは違う、何かをやりたくて」

弱音を吐かず

名に恥じぬアマノジャクな彼女たち。デビュ−までの半年間、スパルタげいこに耐え、青あざが絶えないほどしごかれても弱音を吐かなかった。文化祭仲間のうち、三人はすでに主婦となっているが、二人にとっては太鼓が恋人だという。 プロになるまでは短期間だった。けれども時間は問題ではない。きゃしゃな体には見合わない太い腕と力強いバチさばきがそれを証明している。フルパワ−で打ち続けたら男でも三分が限度というほど、太鼓演奏は重労働なのだ。 彼女たちは、日本全国はもとより、海外でも祭りやイベントに東奔西走している。二日から四日まで「第三回ナゴヤ電飾船パレ−ド」に出演中である。決してお嬢様芸ではない。


◎1995年 ラティ−ナ 1月号

エリアサル・ジャネス日本滞在記−和太鼓の真髄に触れて
5年間温めた自己プロジェクトを成し遂げたベネズエラのドラマ−が、
師匠の渡辺洋一(天邪鬼)と振り返る6ヶ月の日々

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’94ベネズエラ最強のドラマ−のスト−リ−を覚えておいでだろうか。ジョルダ−ノ、セルヒオ・ペレス、アドレナリ−ナ・カリベはじめ、伝説のインスト・バンド「セクシオン・リトゥミカ・デ・カラカス」スタ−女優兼歌手のマリア・コンチ−タ・アロンソ等々のライブや録音、ウィリ−・コロンのエスペシアル・ヌメロ・シンコのベネズエラ・セッション参加・・・という輝かしいキャリアを持つあの男だ。   1953年、カラカスのバリオに生まれ、ジャズやボサノヴァを演奏し、やがては演劇の音楽担当を経てマルチな活動へと傾斜してゆくことになる。よい条件のドラムセットを持たなかったがゆえに、個性的な奏法を開発し、特異なセッティングのドラムスで噂を呼び、アフロベネズエラ音楽に欠かせないドラマ−及びパフォ−マ−となる。 長い手足を生かしきったそのしなやかなドラミングには、誰もが感嘆の声を上げる。そう、93年10月、エリアサルは5年間あたためてきた自己のプロジェクトである「和太鼓修行」のために初来日したのであった。88年ベネズエラへ公演に来た鼓童を体験し、自分の信じてきた芸術世界をそこに見て、彼はカリブ音楽のセッションマンとしての地位を捨てても、この日本に来たいとずっと念じてきたのだった。5年あまりカラカスの奥、人里離れた山の中にこもり、身体を鍛え瞑想する日々・・・まるで「鼓童コミュニティ」を疑似体験するかのように。 去る6月、国際交流基金の奨学制度を無事受けられたエリアサルは、妻のクリスティ−ナとともに東京の地を踏んだ。彼が和太鼓修行の受け入れ先として選んだのは「天邪鬼」を主宰する渡辺洋一氏。半年にわたる貴重な修行の成果を、帰国前の11月末、師匠とベネズエラ生まれの弟子に尋ねてみた。(インタビュ−通訳:斉藤憲三)

−彼が先生の門戸を叩いたきっかけは?

渡辺  昨年の11月ですかね、石橋純さんから彼が大太鼓を中心としたものを学びたいと言っているが、迎えてはくれないかというお話があって。わかりました、と国際交流基金の申請に至ったわけです。日本滞在中に興味を持った海外の人に教えたことはありましたが、本格的に留学生としてア−ティストを長期に迎えたのは初めてでした。

−実際に修行はどんなものですか?

渡辺  初めは叩いただけであそこが痛い、ココが痛い、とにかく身体じゅうが痛いと言っていた。もしかしたら、だいぶ僕を憎んだんじゃないかな。ずいぶんきつかったと思う。

エリアサル(以下E)  あまりに痛くて、筋肉弛緩剤を飲んでもいいかと聞いたけれど、ダメだと言う。お−イタ−イ。

渡辺  痛みを身体に覚えさせるためにやっているんだからと説明して、まず打法ですね。彼は身体が良かったからもう少しできるかなって思っていた。でもトレ−ニングに至る前にヘバっちゃう。こんな叩き方はやったことがないから勘弁してくれ、と言う。

−彼もベネズエラでは並大抵ではない太鼓叩きなわけですが、根本的に打法が違う、と。

渡辺  根本的に和太鼓は痛いんです。ビ−トの取り方、僕らは腰で取っているんですよ。足腰をしっかり落ち着けて打たないと、大きな太鼓になった場合、打ち抜くという技術が別にあるわけですから。彼らはノリやビ−トの中でポリリズムを刻めるという特質がある。和太鼓はひとつのベ−スを決めて、それに対して自分が向かっていくということが多いんです。根本的に打法が違う。精神的なものや肉体的表現が多いんですよ。だから彼らは、スリ−・ツ−とか刻んでいれば容易に仲間に入れるけれど、和太鼓はちゃんと叩かなければ仲間に入れない。

−奏者と一緒に楽しむ側が分かれている。

渡辺  そう、演じる側と見る側とが、どこか離脱しているというかね。

−エリアサル、なぜ痛い思いをしてまで和太鼓修行を志したのでしょうか。

  世界には様々な太鼓があるが、渡辺先生の太鼓には、これまでやってきた自分の特異な奏法(立ったままドラムスを叩き、舞踏のように優雅なスティックさばきをする)と共通する魅力を感じたからなんだ。和太鼓は最高の楽器だし、ひょっとしたら自分と同じような意識を持つ人かな、と。最初は、これなら自分にもできると思ったんだ。

−初めて和太鼓と出合ったのはいつ?

  88年鼓童がカラカス公演した時だ。その後、92年に天邪鬼の公演をカラカスで体験した。その時、初めて渡辺先生の太鼓を叩かせてもらった。兄弟のように面倒見てくれた。練習は最初はきつく続きそうもない、到達できないと思えた。でも先生は段階を踏んで成長するよう教えてくれた。まだ中間点ほどにも到達していないが、さらに高見に進みたい。高い地点まで達した時には、きっと渡辺先生から「天邪鬼でゲスト参加してくれないか?」なんてオファ−がくるだろうから。

渡辺  のんきだからねぇ、彼は。

  上に行くたびにもっと難しくなる。先生の太鼓はアヴァンギャルドだから難しい。助六太鼓や御諏訪太鼓、鼓童も見てきたが、渡辺先生の奏法はまるでラテン・ミュ−ジックのように奥が深いんだ。特に真似てみると。

渡辺  初め1ヶ月ほどは教え方に悩みましたね。サンフランシスコに田中誠一という日本人で初めて海外に道場を持った人がいるんですよ。助六太鼓出身で、スパルタ教育なんです。和太鼓にはラテンと同じように唱歌があって、それは日本語で教えないとニュアンスが出ない部分がたくさんある。「レフト・ライト・レフト・ライト」と言いながらではダメで、日本語の唱歌で説明しなくちゃ無理なんです。そしてまず時間厳守、会ったら「おはようございます」と挨拶させる、なんて言われてたんですよ。で、彼の場合、まず石橋さんからお話があったときに、どの位たたけるのかライブハウスで演ってもらった。もちろん、彼は僕が見た中ではナンバ−ワン・クラスの演奏家だった。人間性もとてもいいし、こういう譜面でやってこなかった人にフリ−性を失わせるのもつまらないし、悩みました。一から積み重ねていくか、それとも一・百と積んでゆくか。で、1ヶ月ぐらい練習を見て、まず溶け込めなければいけないなと思って、ある程度おいしい部分、ご飯じゃなくておかずから入った。正座やリズムの基本から教えるのではなく、いきなり楽曲から入ることにしたわけです。彼が欲している大太鼓のム−ヴメントやポ−ジング、まずコラソンから入ったんです。彼は動物的なほうでしょう。僕も同類だから分かるんですけど。でも肩がもたない、背筋がもたない、足腰がダメ、それでさらに悩んだ。思い直してスパルタがいいかな、と。それで1週間に2回の練習を4回にして、ウェイト・トレ−ニングに切り換えた。成果が出てきたのは2ヶ月目あたりからでしたね。

−確かにあの頃、編集部に来ても泣いてましたね。(笑)痛いと言って。

渡辺  とにかく痛くても必要なんだ。僕を信じなさい、とね。目標も欲しいはずだから、8月に福井で僕の持っているイベントがあるから、もしもおまえが素晴らしい成果をあげたら、そこでドラムのほかに大太鼓を叩かせようじゃないかと話してみた。もしダメだったらカメラマンな、と。大太鼓は無理だったけど、とりあえずドラムは叩けたからね。アカペラでも歌った。8月頃には身体も慣れてきて、外人特有の筋肉質に伸びが出てきた。自信もついてきたようだった。「痛いのがいいんだ。早くジムに行こう」なんてね。こんな脳天気な人もいないよね。浅野太鼓という400年も太鼓を作り続けている所があって、一人3分間打ち続けるコンテストがある。それがまた励みになってね。彼はまた興奮しちゃってね。来年はこれに出場して、優勝はできなくても3位には入りたいと言う。

−日本人が根本的に美しく見えると感じるポ−ズを彼が理解するのは難しいでしょう。

渡辺  日本のものってポ−ズが角ばっているんですよ。花にしても。武人(ぶじん)的というのかな。だから和太鼓って、感覚的にはスポ−ツと武道を足したようなものなんです。逆に向こうのサルサとかは、全体的に基本形が丸い。それを感じ取るのに、自分の姿をビデオで見せて違いを分からせるしかない。外人特有の自信があるからね。でも自分に型がないのが分かってきて、さらに打ち込むようになってきて、こどもみたいに朴訥で純粋だった彼の性格も、もっと前向きになってきた。

−ただ、彼は本来センスを持っていますよね。

渡辺   センスは抜群だね。1拍の中に2音あるのを、彼も僕らと同じように感じることができる。歌舞伎の間抜きみたいなリズムだって、彼は最初からついて来られたし、「スケテンテン」という唱歌も彼は向こうで同じようにやってきたからすぐについてこられた。

  でも、ラティ−ノの中にあるリズムと違って、とても難しかったよ。

渡辺  でも彼はとにかく耳がいい。勘がいい。暗譜力も抜群だね。

  ありがとうございます。

渡辺  彼が一番苦労したのが「武人」という曲。曲がわかっているのにム−ヴメントができない。何度も泣きそうになってたよ。

  動作は自分にとって全く新しいものだったから。全く初めての体験だった。

渡辺  腰を決め、タメといて次の動作に移る、打ち砕く、なんていうのが彼らにはないでしょう。サルサにしても、ビ−トが流れててその中で動くことに慣れているからね。根本的に彼らにはないものでしょう。あと、視線がどうしても笑っちゃう。日本人が着物を着た時の最低限の所作すら知らないわけだから。奏法より所作が難しかったはずだね。

E  そう、リズムより動作が難しかった。ラティ−ノのリズムでは、それにあわせたポ−ズが決まっているわけではないし。

渡辺  バチを持ったポ−ズにも意味がある。視覚的にもね、すべて意味があるんです。

 とてもシンプルだが深遠なものだった。

渡辺 彼はよく叩き分けられるけど、向こうの人には普通ピアノとフォルテしかないんですよ。でも、僕らはメゾフォルテやメゾピアノといった中音域をよく使う。割烹料理と同じで、食べ終わってすべてが良かった。おいしかったというようなものなんだ。すべて次にいくためのト−タルな所作だから。

−ひとつの美学ですから大変ですね。

渡辺  そう。彼はドラムだったらその中音域すべて使い分けられるけれど、それを和太鼓に置き換えられるか、というのが難しい。

−そんな要素を初めて日本で見た?

  最初はさほど難しくは映らなかった。だが、本当に奥深いものだったよ。

渡辺  僕らの感覚というのは、彼は充分わかっていると思うけれど和太鼓の世界では10年先のことをやっているんです。日本を代表する他のグル−プは機械的なところが多いんです。そこのハ−トを加えようとすると、どこか宗教的になってしまう。僕らは動作として、次にどうやって打ったら自然に打て、形が良くて、といったものが楽曲になってるんです。それはたぶん彼は気付いたと思う。

  その違いはベネズエラで見たとき分かった。機械的ではない曲線美の流れを感じた。

渡辺  学術的には、そういう打ち方のほうがタイトに音は出るのかも知れないけれど、人を感動させる、その時にライブでなければ出せないカオスの理論というか、考えられないものが舞台で出てしまうんですよ。1足す1が2ではなくて11かもしれない、見たときに総毛立つというかね、そういうものを僕らは与える側でもあるんですよ。

−もちろん10年先を見越した新しい和太鼓は、渡辺先生がお考えになったものですか?

渡辺  ええ。宣伝ということもあるけど、いいものは絶対売れてくると思うし、日本で知られていなくても心配はしていないんだ。実は僕はラテンのエッセンスとか、ガムランのエッセンスとかいっぱい入ってる。それをそっくり取り入れるのでなしに、締太鼓にアバネコみたいな要素を入れたりする。視覚的にも必要性から出た衣装を着て演奏します。第一、裸で打つというのを考えだしたのは日本人ではなくピエ−ル・カルダンだから。ヨ−ロッパで受けるために、男の色気で売った。僕らはそれが嫌ではないけど、裸で打たなくても誰もが納得する音を出していれば大丈夫だと思っているから。

−天邪鬼で学んで良かったと思う?

 去年11月に日本中の太鼓を訪ねて回った時も、いつも忙しくてつかまらない渡辺先生を探していた。佐渡や秩父、諏訪など訪問先で太鼓に出合うたびに、素晴らしいと思いながら、でも師匠は渡辺先生と決めていて、電話していたんだ。音、存在感、フィ−リングで、ずっと心に決めていた。

渡辺  日本人の心って作ったものではない。彼に対して、僕はもてなしたこともないけれど、彼の性格を変えようと思ったこともない。互いに別のものだけれど、だからこそこうしてブラザ−なわけ。和太鼓に触れるよりもまず日本人に触れて欲しいと思った。結果、未熟だけど形的には完成させて、舞台に上げて3分間の自分のソロを考えさせた。いい勉強になったと思う。すべて終えて、12月10日に彼のさよならコンサ−トというか、浅草の宮本スタジオというところで日本とベネズエラの太鼓の違いをト−クショ−でやって、日本で覚えた和太鼓をそこで彼が披露するように企画してあげたんだ。

−6ヶ月の修行の収穫と、帰国後は?

 自分が変わったのではなく、進歩し豊かになったと思う。ベネズエラに戻ってからもビデオでさらに勉強し、スサノオのグル−プを再結成して「武人」を演じてみたいと思う。ベネズエラの太鼓ミ−ナ等に、太鼓、締太鼓、カネを組み込んで。

渡辺  だからここでも男気だしちゃってね、太鼓屋と結託して、何とか彼に太鼓を持たせてやりたくてね。ドラムと組み合わせて使うのには団扇太鼓がいいから、3枚のあれを揃えたんだ。向こうでドラムセットと一緒に叩いている姿が目に見えるようだな、なんて思って。12月4日の忘年会にプレゼントするから、まだ秘密なんだけど。

 ヒロミとマユミが打ってる団扇太鼓は他のグル−プでは見ないよね。スゴイ!

渡辺  来年4月に全米公演があるんですが、その時に国際交流基金の助成公演として南米も回りたいと思っているんですよ。年に2度は海外公演に出ていますが(ト−タルで50ヶ国は公演したとのこと)、今プロとしてやっているのは3人。個人でやっているから抱えていくのが大変なんですよ。エリアサルまで加えればメンバ−は250人ぐらいいますけど。その彼とは、何とかベネズエラ公演を実現させ再会したいと考えているんですよ。

まったくもって男気に満ちた先生だ。選ぶべきは良き師・・・。因にスペイン語で”天邪鬼”にあたる言葉は、”テルコTerco”だそうだ。例えば、コロンブスのような冒険者、時代の潮流に敢えて逆らうような人間をそう呼ぶという。その意味でも、「天邪鬼はラテン的だ」という。ついでに「渡辺先生は日本のティント・プエンテだ」と彼は言う。

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