太鼓集団 天邪鬼 amanojaku メンバー紹介
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天邪鬼を主宰する渡辺洋一は、幼少の頃から和太鼓の魅力に魅せられ、1976年に日本初和太鼓プロ集団である助六太鼓に入門し、中心的プレイヤーとして10年活動した。後に、確実なる和太鼓の基礎を携え、新しい和太鼓音楽の確立を目指し太鼓集団天邪鬼を発足。以後、和太鼓音楽を広げようと模索、天邪鬼パフォーマンス”heUnknownWorld”を作曲、多彩な楽器を和太鼓に組み入れたことで、ジャンルの壁を飛び越えた新しい和太鼓音楽を創作発表する。そのかたわら、和太鼓のソリストとして、国内外のアーティストとセッションを行う等、多彩な音楽活動を続けている。 全国各地のふるさと活性化、青少年の育成等を目的として創作和太鼓の作曲指導を手掛け、着実なる成果を挙げている。2003年度には、その高い指導力が認められ、文化庁から特別顧問・文化交流使の特命を受け、国際的に和太鼓を広める活動を本格的に行っている。

5才の頃より麹町囃子会に属し、祭囃子を修得。大妻高校在学中、助六太鼓に入門し、川名真由美と共に母校に和太鼓グル−プ”雅彩”を結成。その演奏が脚光をあび、学生時代よりセミプロとして活動を開始する。短期大学を卒業と同時に太鼓集団天邪鬼の旗揚げに参加し本格的にプロ活動をはじめる。以後国内外での演奏活テレビ出演をはじめ様々なアーティストとの精力的なライブ活動も行う。国立劇場主催“日本の太鼓”―オンナが打つ― においては日本を代表する女性和太鼓奏者として紹介され、その繊細でダイナミックな演奏は、多大な絶賛を浴びた。

小学生の時に盆太鼓を始め、新宿百鼓会に所属。大妻高校在学中、助六太鼓に入門し、小川ひろみと共に母校に和太鼓グル−プ”雅彩”を結成。その頃より、セミプロとして活動を開始。短期大学を卒業と同時に太鼓集団天邪鬼の旗揚げに参加し本格的にプロ活動をはじめる。以後国内外での演奏活動・テレビ出演をはじめ様々なアーティストとのライブ活動も行う。国立劇場主催“日本の太鼓”―オンナが打つ― においては、日本を代表する女性和太鼓奏者として紹介され、その繊細でダイナミックな演奏は、多大な絶賛を浴びた。

1978年より民謡をキングレコード専属 武花烈子師に師事。4歳より民謡の道を志す。
以来数々の国内年次大会において優勝を収め、毎年全国大会に出場。2003年郷土民謡協会 民謡日本の祭りハイライトコンクール優勝。
1992年より天邪鬼 渡辺洋一氏に和太鼓を師事。1996年から天邪鬼のプロ演奏者としての活動も始める。現在では民謡歌手である傍ら、津軽三味線や民謡太鼓、創作和太鼓の技術を身につけ、邦楽分野においてのオールマイティーな活躍で、若手音楽家NO.1として、注目されている。

 

小学生より福島県伊南村 久川城太鼓で太鼓を始める。
その頃より久川城太鼓の指導者であった渡辺洋一に師事。以後大学進学と共に上京。同時に天邪鬼にて本格的太鼓修行を始める。1998年には福井県に於ける”OTAIKO響け ALL JAPAN OTAIKO CONTEST 大太鼓一人打ち”にて優勝。
翌年、同CONTESTグランドチャンピオン大会にて敢闘賞に輝く。東京外語大学在学中には、東南アジア全域における民族音楽の歴史と変遷を題材とした研究をも行う。現在天邪鬼において、若手主要メンバーの一員として数々の演奏活動を行い、天邪鬼保存会での指導役としても会員の指導を中心に活躍している。

幼少の頃よりアメリカにて和太鼓奏者ケニー遠藤氏の元で太鼓を始める。その後日本に帰国。太鼓集団天邪鬼の小学生の部に所属し渡辺洋一に師事。中学生時代に一時アメリカに戻るが、高校進学と同時に帰国。再び太鼓の道を志し、天邪鬼保存会創生期メンバーとなる。2000年富士山太鼓祭り・2003年室蘭太鼓祭りにおける大太鼓一人打ちコンテストに於いて見事優勝に輝く。和太鼓を通し”人間である意味”を問い、命の大切さを伝え、より平和な世界へと貢献してゆきたいという彼の太鼓観は、魂の込もった命の音となり人々の感動を呼ぶ。現在、国際基督教大学に在学。学業の傍ら、太鼓集団天邪鬼にてセミプロ活動を続け、天邪鬼保存会の中では指導役としても活躍している

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